
乗馬姿の遊牧民(写真はモンゴルです)
8月4日、内モンゴルからエムチ(モンゴル伝統医)が訪れた。日本人のアムチ(チベット伝統医)に会ってみたいというので、日本の大学に留学している義理の息子が、通訳兼ドライバーとして、森のくすり塾まで連れてきてくれたのである。いかにもモンゴル人らしいがっちりとした体形のお父さん。なんでも7代も続くエムチの家系だという。さっそく「モンゴルで草原のくすり塾(2018年8月開催のモンゴルツアー)」のときに撮影した薬草の写真を見せると「おおー、これはルクルだ(第12話)」と共通の話題で盛り上がることができた。薬草や丸薬の名称はチベット語が共通語だからである(第118話)。なお、チベット伝統医を意味するアムチは、モンゴル語のエムチ(医師)に由来している。

薬草を観察するエムチ
僕は医学についてというよりも、家畜が食べる草の種類や時期によって糞の利用法が変わるのかどうかなど、遊牧民の暮らしについてここぞとばかりに質問をした。同行しているお母さんは生粋の遊牧民出身で、幼少期から馬と一緒に育ってきたこともあり、楽しそうに答えてくれた。すると都会育ちの義理の息子は通訳しながら「僕も知らなかったことがたくさんあって勉強になりました」と照れ笑いを浮かべていたのが印象的だった。
そんなこんなで1時間ほど話をした後、突如真面目な顔になり「こちらに薬師如来の仏画が飾ってありますが、日本の人たちは仏の力を信じるのですか?」と質問してきた。通訳の息子がその意味をなかなか理解できず、「つまり、信仰の力によって病が治るようなことを信じますか、ということですよね。これを日本語で御加持(ごかじ)といいます」と僕が補足してあげたうえで、「チベット人やモンゴル人ほどに日本人は仏教に対して信仰深くありません。エビデンスに基づく現代医学が主役です。でも、御加持をまったく信じないわけでもありません」と答えた。おそらく、科学技術立国である日本人がアムチであるとは、いったいどういうことなのか、その疑問を確かめることが今回の訪問の目的だったようだ。そこで張り切って薬師如来の真言を唱えてみせたが、自分たちと同じ文化を背景に持つアムチだという同朋意識にまでは残念ながら至らなかったように感じた。

薪を割るエムチ
ちょっと気づまりな雰囲気になったので「薪を割ってみますか」と投げかけてみた。まずは26歳の義理の息子がやってみた。アメフト部に所属しているだけあって力はあるが上手く割れない。次にお父さんの末っ子11歳男子が挑戦することになった。薪割は生まれて初めてというので、お父さんが手取り足取り教えて、ようやく割ることができた。お父さん、斧を振りおろす姿はさすがである。腰の重さというか、どっしり感が日本人とは違う。

弓を射るエムチ
さらに日本の弓をやってみますかと提案し、まずは自分がやってみせた。(第314話)すると、日本とモンゴルでは弓の構造が違うことに戸惑いながらも、自然に弓と矢を手にして矢を放ったのである。そのあまりにも自然な流れに、さすが騎馬民族だと納得させられた。お母さんもじっとしていられなくなり、弓と矢を手にした。弓をひきたくてうずうずしてしまう身体性はさすがである。
このとき、福岡県の飯盛神社でモンゴルと日本での流鏑馬対決が行われたというニュースを思い出した(注)。モンゴル弓は短くて馬上の取り回しに優れている。そもそも乗馬レベルが段違いに異なることから、モンゴルのほうが優れていたのは言うまでもない。儀式的になりがちな日本の流鏑馬に、自由なモンゴル弓が新しい風を吹かせてくれたような、そんな素敵な敗北感だった。ちなみにチベット語では内モンゴルのことをナン(内)・ソク(モンゴル)、モンゴル国のことをチ(外)・ソクと呼んで区別している。チ・ソクからはいままで何人もメンツィカンに留学生を派遣しているが(第242話)、ナン・ソクは中国領ゆえにメンツィカンとの交流は存在しない。
日本のアムチは、仏教にどこまで信仰心があるのか、まだまだ疑心暗鬼だったかもしれないが、モンゴルと同じように、大自然の中で薪を割り、弓を射る行為を共有することで、ようやくアムチとしての同朋意識を少しだけでも抱いてくれたような気がしている。今度は相撲で勝負しましょう。

モンゴルで馬に乗る筆者と妻
<注>実際の動画(蒼天工房あおぞらこうぼう)





