10年前に亡くなった父から、“うちのお墓の隣に土地を買ってあるから墓は自分で建てろよ”。と話の折に申し渡されていた。私の故郷は、私の家から車で4時間はかかる。兄が生家の商売を継いでいるから今も時々帰省するが、私の息子達は小さなころはよく遊びに行ったものの今は縁遠くなっている。
自分が入る墓のことなど先の話だと思っていたが、今年の3月にスタッフの一人が急死したとき、お母さんが「本郷のお寺の納骨堂を買ってあるのでその寺で葬儀も行います。私が入るつもりで買ったんですが、娘が先になってしまいました」。そう涙ぐんでおられた姿が忘れられず、準備はしておかないといけないなと思うようになった。
霊園や納骨堂、樹木葬などの資料を取り寄せてみた。利便性の良い霊園は何十倍もの抽選になり到底当たる見込みがない。利便性の悪い霊園ではお参りに来てくれる人はほとんどいなくなってしまう。ならば樹木葬でもよいのではと話していた。
7月初めの朝刊に、我が家から車で10分くらい、立川からならモノレールを使って2駅目で下車すれば歩いて行けるお寺が、お墓と納骨堂のチラシを入れてきた。早速電話したところ、次の日曜日にどうぞというので見に行った。
石材店の方が待っていて墓のことを丁寧に説明してくれた。今空いている1番安価な墓地は幅72㎝×奥行120㎝で墓石まで含めると200万円ほどするという。この狭さでこれはやはり結構な値段だ。墓石を“豪華”にすれば250万円くらいになる。もっと広い墓地を買えば墓石も大きくなり数百万円はする。墓じまいについても尋ねた。遺骨の数にもよるが、永代供養料、墓石の粉砕料など、墓石を買う時と同じくらい費用が掛かるそうだ。とはいっても何年も先のことだから実際の金額は分からない。
微妙な販売分担があるのか、「納骨堂のことはご住職に聞いてください」。というので社務所を訪ねた。早速、ご住職に納骨堂を案内していただいた。冷暖房完備の鉄筋3階建てで、2階と3階を納骨壇置き場に充てた仏壇式の納骨堂だ。この納骨壇を買うわけだが、骨壺が何体入るかによって値段が違う。1番小さなものは1体しか入らないが20万円、12体が最高で165万円、墓に比べたらかなり安い。管理費が年12,000円、納骨時に永代供養料として10万円。使用しなくなったら返却すれば良い。お骨は持ち帰ってもいいし、粉砕して共同の供養塔に弔うことも可能。いたって単純明快である。
翌週、再度寺をお訪ねし、幅40㎝、高さ180㎝程度で骨壺が6体入る納骨壇を購入した。息子たちにもそれでいいと言ってくれた。購入条件として、葬儀の際にこのお寺のお坊さんを呼ぶことが義務付けられるので浄土真宗から宗派替えになる。兄に話したら「あまり気にしなくていいんじゃないか。こちらの墓地は、組合に断っておくから」と言われあっさり了解された。よくよく考えてみたら、私の生家が浄土真宗というだけで、私は宗派に属しているのか何の意識もない。
墓のことは、喉に骨が引っ掛かったように気にはなっていた。墓は、そもそもが共同埋葬だから樹木葬は古代に戻ったようなものだ。知人の樹木葬のお参りをしたとき、樹木葬は供養としてはいいが、故人を偲ぶには向かないと感じた。かといって、“原家の墓”というのにも抵抗がある。では“先祖代々の墓”ならどうかと考えたが、それほど継続性があるとは思えない。ならば散骨はどうか。本人はそれでいいが後に残されたものは心のやり場に困る。結局、冷暖房完備で朝6時から夕方6時まで自由にお参りできる納骨堂を選んだ。
何とも“いい加減”な選択ではあるが、引っかかっていた骨が取れ、晴れ晴れとした気分である。準備はできたから後は心置きなく最期まで生きるだけだ。今は、葬儀の時だけお寺にすがる“にわか仏教徒”だが、深く仏教を学んでみたいと思う。