シャルバチュム

私の故郷、長野県飯田市では南アルプスのことを赤石山脈と呼ぶ。私の出身高校の校歌でも「赤石山は巍巍(ぎぎ)として、我が南信の骨をなし、、、」と赤石が歌詞の冒頭に初出てくる。

「南信州山岳文化伝統の会」の顧問で飯田市出身の登山家・大蔵喜福氏は、「赤石山脈は北アルプスなどと違って、宿泊サービスも殆どなく、トレッカーで行列ができるなどということもない。それが幸いしている。もう新しい山小屋は造らず、出したものは全て持ち帰るようにして、世界の登山を愛する人たちに心から楽しんでもらえるエコ登山ができる場所にしたい」と会の趣旨を熱く語ってくれる。

その「南信州山岳文化伝統の会」が、1959年に飯田山岳会の学術調査隊が登頂に成功したシャルバチュム遠征隊を偲び、ネパール・ランタン山群のキャンジンリからこのシャルバチュムを望もうという企画をしている。弊社で、そのツアーをお手伝いすることになり、来る3/24からの9日間(11日間も設定あり)のツアーを組んだ。その説明会を行うというので昨日、飯田市までスタッフと一緒に行ってきた。

エベレストの人類初登頂が1953年。その3年後、日本山岳会隊がマナスルの初登頂に成功しているが、飯田山岳会のシャルバチュム遠征は、情報も少ない田舎の小都市の山岳会のヒマラヤ遠征として注目を浴びた。しかも、その時の記録が、15分程度だがカラーフィルムで残っている。その記録映画上映もツアー説明会に先だって行われた。

少々雨が降るフィルムだが、十分見るに堪える素晴らしい記録である。登山道具や服装の違いはあるものの、チベット系の人々の生活は、それほど変わっていないように感じた。安物の化学繊維の衣類より、かえってしっかりした手編みのセーターや帽子を被っていたのが、とても印象的だった。

説明会の合間に時間があったので、シャルバチュム登山隊員の松島信幸先生(実際に学校の教諭をされていた)の家にお邪魔し話を伺うことができた。もう、90歳にならんというお年だが、お元気でおられ、しきりに2015年のネパール大地震で壊滅したランタン村のその後を気にされていた。3/24からのツアーに行きませんかという誘いには、「お世話になったあの村が押しつぶされた写真をみたら、そんな気にならん」といって沈痛な表情をされていた。

「ペシャワール会」の医師、中村哲さんが車で移動中に銃撃され亡くなられた。残念だ。それにしても凄い生き方だ。心からお悔やみ申し上げたい。

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