出る杭

山口香氏の言葉に、久々に溜飲を下げた。 “(バッハ会長も)普段は貴族でも、五輪の時だけはビジネスホテルに宿泊して庶民の気持ちを知るのもいいのでは”と実に小気味いい。五輪貴族への嫌味たっぷりである。そんな同氏も、10年の任期を全うし今年の6月25にJOC理事を退任した。五輪直前である。責任ある立場を少し離れた所為か、“何を言ってもすべてに虚しさを感じている”と吐露した。既に報道されているようにJOCでは、五輪中止という議論はないまま観客数の議論になってしまったことに、政治への忖度を感じ、虚無感を深めたのだろう。

山口氏は、「リスクがある状況で五輪をやるにあたって国民への誠意を示す最後の切り札が無観客だった」と述べている。私も、そう思う。だからぎりぎりまで決めず、最後の手段として無観客を残していた。本日7/9(金)、緊急事態宣言が出され、一部は無観客になるらしい。それでもVIPや関係者枠は別だというから、だれのための五輪かさっぱりわからない。

先週、トラベル懇話会主催の八ヶ岳高原ロッジ夏季セミナーに参加してきた。金曜日の夕方はピアノとバイオリンのコンサート。翌日の午前中に、上野景文氏の講演を拝聴した。以前にも本稿で八ヶ岳高原ロッジを紹介したが、森の中にある木造平屋建て音楽堂が素晴らしい。一時間ほどのコンサートだったが、コロナ禍で使いすぎた左脳に代わって右脳がむずむずと震えて心地良い時間をすごせた。

上野景文氏は、元バチカン大使。文明論考家と自称し文明に関する研究をライフワークにされている。この日も、一神教の世界とアミニズム的多神教世界を比較して講演を進められた。絶対という世界感を持つ一神教的世界と、すべてが相対論に行きつく多神教的世界では全く物の見方、価値が異なる。日本は、もちろん多神教的世界。日本人には絶対という概念がないに等しい。故に、欧米からすると日本は分かりにくい国家である。上野氏は、バチカンでこの分かりにくさを何とか説明しようと試みたそうだ。

コロナ禍にあって日本政府のやることは実に分かりにくい。見通しも科学的な根拠も一切語らないで、「専門家の意見をお聞きして適切に対応」といい続けるが、肝心なところでは専門家を無視する。何故、こんなに分かりにくいのか。上野氏いわく、どんな価値も相対的にしか決まらない。五輪に反対する人も、開催すれば“よかった”という評価に変わる、と政府は見込んでいる。つまり相対的な価値で国民は右往左往すると見下されている。

しかし、私は絶対的価値感を持つことが正しいなどとは思わない。むしろ相対的価値感をもつ日本人の方が、懐が深く多様性に肝要だともいえる。争いを避け平和に生きることに向いているとすら思う。但し、権力者が「出る杭」をたたき忖度を無言で強要するような今の社会に未来があるとは思えない。山口氏は、ずっと「出る杭」であり続け、“忖度は美徳ではない”と言い切る。その通りだ。私も「出る杭」でありたいと思う。

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