チベット人の「日本人神話」[LHASA・TIBET]

チベット本土であれ、インドであれ、イギリスであれ、僕が今まで多くのチベット人に接する中で、耳にたこが出来るほど聞かされてきた、チベット人の「日本人神話」。 これはチベットに深く関わっている日本人なら誰でも知っている。 それは「日本人は非常に頭がよく、優しく、そして真摯な仏教徒である」という、こちらが聞いていて恥ずかしくなってくるような神話(=思い込み)だ。  

もうひとつ極めつけは、「日本人とチベット人は昔々同じ祖先を共有していた」という、なんか嬉しいやらツッコミたくなるやらの信仰(?)が存在していることだ。 

もちろん、どのようなチベット人であってもこのような思いを抱いているわけではなく、僕の経験からすると、高等教育を受け、外国人との交流が多い人ほど、この神話の信奉者は多いような気がする。 なぜ、どのように、こういったことがおきるかは、また別に機会があったときにちゃんと発表するとして、今日はほんの少しだけさわりを書いてみよう。

まず、会話レベルならチベット語をいとも簡単にマスターしてしまう日本人。 これが日本人と交流するチベタンに日本人のある種の「優秀さ」の証明ともなっているようだ。 文法的にも発音の上でもそんなにかけ離れていない言語同士なので、チベット語口語は実は日本人にとってそんなに難しくはない。 数年前チベット大学に留学していた時も、やはり習得が早いのは日本人(それと韓国人)で、四苦八苦しているのは欧米人だった。 イギリスの大学で僕は英語にかなり苦しんだ記憶があるので、「マスターしたかったら、もっと苦しまんかい。この甘ちゃん欧米人どもめ」と心暖かく思っていた。 そういう欧米人と比べて、日本人はすぐ会話をマスターしてしまうので、チベタンのウケが非常にいいのだ。

あと、「同じ祖先」ではないか、というチベタンのコメントであるが、彼らがよく引き合いに出すのが、数の数え方だ。 日本語の「いち、に、さん、し、ご・・・」は、チベット語で「チク、ニ、スム、シ、ンガ・・・」である。 この証明(?)をもって、「ほら、数の数え方そっくりじゃないかー。 だから、チベタンと日本人は同じ祖先なのだ」なんて開陳してくるチベタンは珍しくない。 あと、インテリのチベタンなんかと話すと、昔日本と大陸が陸続きだったときに、チベット人の先祖の一部が日本に流れていった、といったような話をしてくる人もいる。 神話(=物語)好きのチベタンの一端を垣間見るようで、興味深い。

あと、チベット人の日本人神話の最後のポイント、「日本人は優しく、真摯な仏教徒である」というコメントであるが、もし日本人とチベット人が同じ祖先であるなら、彼らのほうは日本人にそうあってほしいと願うのは、ごくごく自然なことなのかもしれない。

ちょっとこちらが恥ずかしくなってくる、日本人神話であるが、たとえ我々が真摯な仏教徒でなくとも、優秀でなくとも、チベタンとは気心しれる仲になりやすいのは100%確かである。 アジアの中でこんなに日本人と親和性の高い民族はいないのではないかと思わせるものがあるのである。 「そんな大袈裟な」と思われるなら、ラサに来られた方はチベット茶館(去年の駐在日記の「茶館の巻」へジャンプ)に行かれるとよい。 そこで筆談でもいいので「日本からきました」みたいなことを言ってみることをオススメする。 そしたら、彼らのちょっとしたしぐさの中に、我々の先祖を見出すことはあるかもしれないし(ないかもしれない)。 そのへんはぜひみなさんで発見してください。

Daisuke Murakami

5月11日 
天気 曇り
気温 10〜21度
服装 シャツ+長ズボンが一般的。 紫外線がかなり強いので、日焼け対策は必須。 できたら帽子もかぶられるとよいでしょう。 異常乾燥注意報も発令しておきます。 夜・朝方はやや肌寒いです。

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