中国シルクロードのルート・町紹介:西安と河西回廊編

シルクロード 地図

河西回廊は、甘粛省の黄河以西の地を指し、南の祁連山脈と北の内蒙古の砂漠の間の回廊城の地帯を指します。西域へ続く帯状の道といったイメージでしょうか。漢代以前は匈奴などの遊牧諸民族なども暮らしてましたが、漢の武帝が匈奴を討ち、この一帯を中国の勢力下に置いたのが紀元前111年。そして河西四郡(現在の武威、張掖、酒泉、敦煌)を設け、西域進出への基地としました。その後、戦乱や自然災害などを町も変化しつづけ、今に至ります。


■西安

悠久の古都、西安はかつて長安と呼ばれ多くの王朝が都とした、中国国内の中でも歴史のある町です。世界各国からの観光客が訪れる一大都市となっていますが、日本人にとってもシルクロードの起点として馴染みのある町ではないでしょうか?日本とも繋がりが深く、隋唐時代には日本から遣隋使や遣唐使が派遣され、文化や宗教(仏教)など日本へも多大な影響を与えています。
一番人気ともいえる秦始皇帝陵博物院は1987年に世界遺産に登録された兵馬俑と呼ばれる、始皇帝の陵墓を守る副葬品として造られた陶製の兵士や像で、巨大なドーム型の展示館に立ち並ぶ姿は圧巻です。
他にも市内には玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために建立された大雁塔(慈恩寺)、貴重な品々が展示されている陝西省歴史博物館、市内を取り囲む城壁や町の中心に鎮座する鐘楼、鼓楼など(他にも多くの見所がありますが)も人気の観光スポットです。

立ち並ぶ兵馬俑は圧巻


土の中から蘇った、始皇帝を守る兵士達

玄奘三蔵ゆかりの大雁塔

シルクロードの出発地 西安

シルクロードの出発地 西安


■蘭州

甘粛省の都・蘭州は中国のちょうど真ん中辺りに位置しています。古代からシルクロード方面、青海方面への交通の要衝として発展・栄えてきました。
町の中心は母なる大河・黄河が滔々と流れていて、黄河第一橋である中山橋も有名です。町中には漢民族の他、イスラム教徒の回族も多く生活しており、市内には回族料理(清真)のお店も目立ちます。
町の見所は郊外の炳霊寺(へいれいじ)です。市内から車とボート(快速ボートや遊覧船)を乗り継いで進むと、桂林の山水画を思わせる奇怪な峰が現れてきます。その後、たどり着く炳霊寺は、4世紀末~5世紀初頭から彫られたとされています。当時の中国は三国時代を経て、一度晋に統一されたものの、その後南北に分裂し、異民族の王朝がめまぐるしく交代した五胡十六国時代。その後も隋唐明清と、1000年に渡って掘られ続けてきました。炳霊寺は唐代、チベット族が侵入してからつけられた名前で、この地一帯に仏が満ちているとして「十万仏」を意味しています。一番目を引く巨大な大仏は初唐に造られ高さ約27m。奈良の東大寺大仏(約15m弱)よりもはるかに大きく、大仏上部には特別窟(有料)もあります。

母なる大河黄河と蘭州市内(撮影:芝川明義様)


たどりつくまでのボートでのアプローチも楽しい迫力の高さ27mの大仏像(炳霊寺)

たどりつくまでのボートでのアプローチも楽しい迫力の高さ27mの大仏像(炳霊寺)


蘭州の牛肉麺(麺は細く食べやすい。辛さもお好み次第)

蘭州の牛肉麺(麺は細く食べやすい。辛さもお好み次第)


■武威

武威は河西回廊の東端に位置し、河西四郡の中で、漢民族が最初に都を置いた町です。
武威の雷祖廟雷台から出土した有名な馬の銅像「銅奔走馬(馬踏飛燕)」が有名で、町のシンボルにもなっています。(実物は蘭州の甘粛省博物館に展示されています)「銅奔走馬(馬踏飛燕)」のモデルともいわれる汗血馬は、かつて中国や中央アジア方面での名馬と呼ばれた馬の種類ですが、「天馬」ともよばれ、漢の武帝が渇望したことでも知られています。

天駆ける馬「銅奔走馬(馬踏飛燕)」が出土した武威(撮影:芝川明義様)


■張掖

マルコポーロが『東方見聞録」で記している大仏寺が見所の一つです。内部には巨大な涅槃仏が横たわっています。
郊外には馬蹄寺石窟の石窟群や、丹霞地貌など奇観も見所となっています。

大仏寺の大仏殿。内部には34m程の釈迦仏が横たわる。(撮影:芝川明義様)

大仏殿に横たわる涅槃物



■酒泉

1000年以上にわたって河西回廊の中心として、交易の要衝として栄えてきた町です。町の名称はお酒が好きな方にはたまらない?ような魅力のある名前ですが、この名称は漢代の故事にさかのぼります。前漢武帝の時代、名将軍の霍去病(かくきょへい)がこの地に至り、匈奴を討って勝利を収めました。その知らせを喜んだ武帝から褒美の美酒が届きます。ただ全軍に分けるにはもちろんお酒は足りません。霍去病は兵士達に平等にお酒を与えるため、泉に注ぐと泉の水が酒へと変わり、尽きることがなかったとのこと。今でも町の名勝として、残っています。
また、町の特産として、夜光杯(やこうはい)と呼ばれる玉で作られた杯も有名です。

酒泉の特産品の夜光杯 


■嘉峪関

14世紀半ば、モンゴル族の元を滅ぼし、250年ぶりに漢民族による中国統一を果たしたのが、明王朝初代皇帝の洪武帝です。全長4,000㎞に渡って続く万里の長城の最西端である嘉峪関は洪武帝時代に建てられた西域への砦です。3層の楼閣は嘉峪関のシンボルともなっています。
また郊外には険しい山肌に添うように造られた長城「懸壁長城」もあります。

西への砦となっていた嘉峪関(撮影:芝川明義様)

山肌に沿うように斜面に築かれた長城


■敦煌

砂漠の大画廊 敦煌の莫高窟は4世紀〜14世紀(元朝末頃)頃の約1000年に渡って、石窟が次々と彫られていきました。
最初に掘られたのはたまたま旅の僧がこの地にやってきた際、金色の光が見えて千の仏がいるようで、そこで仏
入れる石窟を一つ造ったのが始まりとも言われています。莫高窟のシンボル的な存在ともなっている九層楼の中には、高さ26メートルの弥勒大仏(130窟)が鎮座しています。
また美しい微笑みの表情が印象的な菩薩像(45窟)など代表的な仏像はもちろん、壁画や塑像、文書など世界に誇れる仏教美術の宝庫となっています。敦煌の町に郊外には、鳴砂山とよばれる砂漠が広がり、不思議と枯れたことがないという月牙泉という湖もあります。砂漠ではラクダ体験も可能です。

砂漠の大画廊と称される敦煌の世界遺産 莫高窟

砂漠の大画廊と称される敦煌の世界遺産 莫高窟

莫高窟275窟 北涼時代の交脚する弥勒菩薩 ギリシャ風の衣服に西方遊牧民族の座り方をしているのが特徴

莫高窟275窟 北涼時代の交脚する弥勒菩薩 ギリシャ風の衣服に西方遊牧民族の座り方をしているのが特徴

莫高窟45窟 盛唐時代の七尊像の釈迦如来と並ぶ一菩薩と莫高窟57窟 初唐時代に描かれた樹下説法図

莫高窟45窟 盛唐時代の七尊像の釈迦如来と並ぶ一菩薩と莫高窟57窟 初唐時代に描かれた樹下説法図

鳴沙山-砂漠をラクダが行く(敦煌)

鳴沙山-砂漠をラクダが行く(敦煌)


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