第15回●「ブーゲンビレア」メンツィカン入学試験

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ブーゲンビレア

「おい、ヤジマ」たまに友人が嘲笑を込めて僕のことをそう呼ぶが、決していい気持はしない。毎週月曜日の午後は30分スピーチの授業が行われ生徒が順番に発表していく。 多くの生徒は仏教や医学に関してなど堅い話をするものだが、僕は100年前にチベットに渡った矢島保次郎の生涯を紹介したところ予想外に大好評で今でも話題に上るのは演者冥利につきる。
群馬県出身の矢島は20世紀初頭に、ただ冒険のためにラサまで辿り着き9年も滞在した。その間にチベットの軍事教官を務め、富豪の娘と結婚し子供も生まれた。その後、家族と一緒に帰国したが、日本では妻の面倒をあまり見なかった。チベット人の妻は慣れない異国での生活から3年後に衰弱して亡くなり本人は 63歳で亡くなった。僕は彼のユニークな生き方を強調したつもりだったが、矢島さんには申し訳ないことに「チベットの女性を苦しめた日本人」のイメージが彼らにとっては強く印象に残ったようだ。そして100年後、矢島保次郎は思わぬ形で僕の人生に大きく関わってくることになる。

30分スピーチの様子

メンツィカンの入学試験は5年に2度行われる。つまり2年続けて開催された後、3年間は行われないため巡り合わせも大きな要因となってくる。僕の場合、ダラムサラに移り住んでから2年半後(2001年5月)というのは丁度よい頃合だったので、最初の条件はクリアすることができた。そしていよいよ試験が差し迫った1週間前、何かの話の流れで僕が矢島のことに少し触れたところ友人は強い興味を示し、もっと詳しく調べてくれないかと、しつこく頼まれた。なんでも時代は少し後になるけれど祖父が同じ場所で軍事教官をしていたというのだ。中国との戦いで死んでしまった祖父の足跡が日本人の側から分かるかもしれないと期待するのは当然のことだろう。僕は『西蔵漂泊』(※)という本の中にある矢島の生涯を翻訳して聞かせてあげ、最後に「チベット人の妻を死なせてしまい、矢島に代わって謝るよ。ごめん」と冗談で締めくくると友人は大爆笑したものだった。

2006年度入学試験。この年は志願者が120人程度だったので机が与えられた。

試験はダラムサラで一番暑い時期に4日間に渡って行われる。この時期、大学は真っ赤なブーゲンビレアで装飾され、そこにチベットのイメージは浮かんでこないし、事実、チベット人は誰もこの花の名前を知らない。熊本県と同じ緯度であり標高1500mというこの大学の位置はブーゲンビレアのほぼ北限にあたる。
25の席に対し280人もの受験者が殺到したためか、試験会場には机がなく、書初めのように床に座って1日6時間もチベット語を書き続けるという過酷な試験を振り返るとき、僕の思いでの花壇にはいつもあの赤い南国の花が咲き乱れる。史上初めてメンツィカンに挑んだ外国人として恥ずかしくない成績を残し、区切りよく日本へ帰って働こう、当初はその予定のはずだった。だから試験5日前にも関わらず知人のガイドを引き受け「この壁画は・・・五大仏が描かれています。チベット語を読むと、こちらの白い仏様が大日如来で、こっちの南面が宝譲如来で・・・」とその場で勉強しながら解説していたものだった。
試験科目は文法、仏教、歴史、政治、一般教養、英語、小論文、面接で、1000点満点のうち最低でも500点は獲得しなければならない。

問題 五大仏のそれぞれの御名前と色と玉座のある方角を述べよ。
問題 薬師如来の御神体の色は何色か。またその理由を述べよ。(問題は一部抜粋)

最終日も真夏の日差しが照りつけていた。5人の面接官は興味深げに外国人の挑戦者を眺めると、第二次世界大戦におけるチベットと日本の関係について尋ねてきた。予想外の厳しい質問にやや焦ったものの『西蔵漂泊』の中の記述を思いだしつつ無難に乗り切ると、面 接官は「おっ」と突然何かを思いついたかのように尋ねてきた。
「そういえば、昔、チベットで軍事教官をしていたという日本人・・・」
おそらく歴史上、入学試験の面接で大爆笑を獲得したのは僕だけだろうと思う。

「誰のおかげでメンツィカンに入学できたと思ってんのよ。私があの時ヤジマのことをしつこく尋ねなかったら、あんたはそこにいないんだからね。それにしても日本の男性とだけは結婚するもんじゃないわ。私は死ぬときは絶対ラサがいいわ」
故郷ラサへ帰ってしまった友人は、あれから6年経った今でも電話を通して恩を着せてくる。ちなみに日本男性の名誉挽回のためにと、次のスピーチでは同じ時期に滞在し仏教を学んだ多田等観の生涯を紹介したものの、やはり彼らは僕をヤジマと呼ぶ。決して尊敬はされないけれど、どこか笑えて、そして人の心に強く残る人生を送ったヤジマをみんな愛しているのかも、と考えると、それから悪い気はしなくなった。
矢島保次郎さん、これでよかったですよね。

補足 入学試験は280人中46人が500点ラインを超え、僕も面接での高得点によりギリギリで突破した。全体では40番だったが、外国人枠が設けられて合格した。また今年、外国人としては二人目となる韓国人が合格した。試験免除で入学できるモンゴル人聴講生は過去に多数在籍している。次回の入学試験は 2011年5月に実施される。

◆参考文献 『西蔵漂泊』(上) (下) 山と渓谷社 江本嘉伸著

小川 康 プロフィール