第27回●「ケンカル」富山の売薬

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ケンカル(ヨモギの一種) 浴用にも用いられる

チベット医学を学び始めてからというもの、ふるさと富山の売薬への興味が湧きあがってきた(第2話参)。草根木皮を使用して薬を作ることはもちろんのこと、日本各地を歩き回る強靭な足腰、民謡など芸にも秀でていること、時には農作業を手伝うなど大地に根ざしていること、利益は後回しにする先用後利の思想、など二つの医学には共通点がたくさんある。もちろん個人的な感傷による縁結びだと言われてしまえばそれまでだが、僕が連載した『チベット医学童話タナトゥク』(第24話参)の中において「売薬の起源はチベット医学だった」という落ちにすることで自己満足を得ている。冬休みで実家に帰省した際、早速、売薬に関する本を購入しコタツに入りながら読みはじめた。すると何故だろう、ヒマラヤ山中で出会った、チベット医学とは全く関係の無い一人の男が何度も脳裏に浮かび上がってくるではないか。

ヒマラヤ薬草実習(第1話参)も半ばを過ぎた頃、3泊4日の日程で特別遠征隊が派遣される。ベースキャンプ地からトラックで8時間近く北上した場所に豊富に生えているケンカル(ヨモギ科)、シュクパ(ヒノキ科)、ボンカル(第7話参)などを収穫するためだ。仕事は普段にも増してハードだが、新たな場所へ行けることも手伝いほとんどの生徒は遠征隊に選ばれることを願っている。僕は3年目、2005年の今年も幸いにして遠征隊に選抜されてほっと安堵したものの、実は学級長が先生に「オガワを連れていってくれ」と、こっそり根回ししてくれていたことを後から知ることになる。人一倍ヒマラヤ薬草実習に意気込み、新しい場所、新しい薬草に好奇心を示す日本人へのさり気ない心配りを僕は一生忘れない。

命綱をつけての採取風景

ケンカルは強い芳香があることから麝香(ジャコウ)の代用品として用いることも許されている貴重な薬草であるが、地盤がサラサラした急斜面に群生しているため採取は命綱をつけての危険な作業になる。僕たちは午前中の作業を終えると山奥に一件だけポツンとある家にお邪魔して休憩することにした。こちらはこんなこともあろうかと用意していた古着をプレゼントし、あちらはチャンという地酒を僕たちに振舞ってくれ、まるで宴会のように盛り上がった。
その時、一人の気弱そうな男が背中にたくさんのカーペットを背負って軒先に現れた。推定40キロくらいはあるだろうか。やや腰を屈めながら小さな声で何かを呟いたが、現地のヒンディー語(インド語)を話せない僕には分からない。そして彼は寂しそうな表情を浮かべると、背を向けて立ち去っていった。
「あのインド人は誰ですか」
酔っ払って上機嫌になっている製薬工場のおじさんに尋ねた。
「ああ、あれか。カーペット売りさ」
「えっ、こんな山奥で、一軒一軒、歩きながら売っているんですか」
「一軒一軒」という言葉から浮かぶイメージは、島国・日本と、ヒマラヤ山中では全く異なるといってもいい。隣のおじさんは、もうそんなことには興味がないかのように僕にチャンを注いできた。次の家にはいったいいつたどり着き、いつこのカーペットが売れるのだろう。しばらくして遠くに眼をやると、黙々と男が歩いていくのが見える。カーペットが売れたときの男の喜ぶ顔を見てみたい、そう感じると同時に今日一枚でも売れることを心の底から願いつつ、彼を視線で追い続けた。
きっと昔の富山の売薬も同じだったのではないだろうか。山奥の村を巡回し、さしたる集金がないときは虚しさに天を仰いだことだろう。押し売りと間違えられ追い返されたこともあったという。黒い柳行季(やなぎごうり)はさぞかし重かったであろう。そんな姿にどこか憧れを感じているせいかもしれないが、僕は何十キロという薬草を背中に担ぎ道路を歩いていく時、むしろ誇らしい気持になる。脇を自動車が通り過ぎていき、時にはインド人観光客が物珍しげに哀れな眼で眺めている。その眼差しはもしかしたら、あの男を見つめる僕と同じだったかもしれないが・・・。

シュクパ(ヒノキの一種)の採取風景

将来、もしかしたら僕は売薬という仕事を選ぶかもしれない。しかし柳行季を担いで歩くことはせず、ヒマラヤでの日々を胸にしまいつつ現代風に軽自動車を運転するだろう。もしかしたら普通に薬局を営むかもしれない。しかしチベット医学を看板に掲げることもなく一般大衆薬を売っていることだろう。ただ、もしも壁に掛けられたヒマラヤの薬草の写真に気がつくお客がいたなら、僕は初めてチベット医学について語ろうと思う。そのとき僕の脳裏にはあのカーペット売りの悲しそうな眼差しが浮かんできそうな気がする。そして彼の人生に思いを巡らせつつ、あの薬草実習の日々を懐かしむことだろう。

小川 康 プロフィール