第29回●「キングフィッシャー」ダラムサラの古時計

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

カワセミ ダラムサラは野鳥が豊富な地域としても知られています。 写真提供、お店のおじいさん。

「♪おおーきな、ノッポの古時計、おじいさんの時計・・・」
 ダラムサラ、正確には尾根沿いに拡がるチベット人の街マクロードに今なお百年間の時を刻み続けている古時計がある。空前のバブルで潤い建築ラッシュで賑わうチベット人街の喧騒の片隅に忘れ去られたかのように、その黒光りした木造の建物は佇む。でもそんな素敵な古時計に出会えたのは、ここに移り住んで8年目の2007年12月のこと。もちろん、今まで毎日のようにその前を通り過ぎていたものの、一度しか足を踏み入れたことはなかったし、ほとんどのチベット人も全く気にかけず真向かいの洒落たバーへと足を運ぶ。でもあの日、知人を案内した帰り道、ふっと視界に入り「ちょっと覗いてみませんか」と無邪気な冒険心が僕の口を動かしたのは、今、思い返してみるとなぜなのか思い返せない。
 クラクションが鳴り響く雑踏から中へ少し足を踏み入れるだけで空気は一瞬にして変わり、僕たちを時間旅行へと誘ってくれた。一応は雑貨屋として運営されていた、いや、いるのだろうが、客は誰もいないし、まったく商売の気配が感じられない。「なつかし屋」と改名して喫茶店でも始めたほうがいいのではとお節介したくなってくるほどのノスタルジー。日本ならば戦前戦後を彷彿とさせるレトロな広告が壁に張り巡らされ、異次元な空間をより一層演出している。とはいえ博物館のような堅苦しさもなく、今に生きる息遣い、つまり乱雑さも感じられる。異国からの訪問者が勝手な詮索をしているそのとき、奥の部屋から眼鏡をかけた老人がようやく姿を現した。

喧騒の中にただずむお店(右端は筆者) 写真提供 籠谷保明様

「2年前にここを経営していた兄が亡くなって、私が呼ばれたのだよ。でも私は銀行で働いていた人間だから商売は難しい」
 簡単な説明を終えると「写真でも見ていかないか」と僕たちを部屋へと案内してくれたのは嬉しいが、訪問客の重量で部屋の床が弓なりに軋んでいる。しかし、そんな恐怖心と、老人の昔話に付き合わされるのだろうかという心配は、古いアルバムを1ページ捲った瞬間に杞憂に終わることとなる。その写真に映るマクロードの尾根にはこの建物だけがポツンと佇み他には何にも無いまさにフロンティアの世界!昔、インドがイギリスの植民地だった時代、ここはちょうど軽井沢にあたるイギリス人のための避暑地だったところまでは僕も知っている。この店はその時代、 1860年に創業したマクロード唯一の雑貨屋だったという話あたりから眼は写真に釘付けになり始める。新し物好きの一家だったのだろう、驚くことに 1800年代の写真も無造作に多く残されているではないか。
そして1904年、ダラムサラを襲った大地震で街は壊滅しイギリス人はこの街から去っていったが、この店はその直後に再建され今に至っているという。つまり、ちょうど百年経っている計算になる。大震災の後、最初に建った建物はこの店だという。最初にこの街で車を買ったのもこの主人だという。震災の後、すっかりゴーストタウンと化したと聞いていたが、それからどうやって生計を立ててきたのだろうか。
そして1959年、ネルー首相がダライ・ラマ法王の亡命受け入れ先を公募したときに、真っ先に手を上げたのが、この老人の兄ナウラジール卿だったという辺りから好奇心は尊敬の念へと変わっていった。法王が初めてマクロード、つまりこの店の前に到着されたときの生写真も何気に残されている。1991年、アメリカへのチベット難民千人移住により外貨が入りだし街は急激に発展する。その反動であろうか1994年、投石など激しいチベット人排斥運動が起こったとき、同じインド人として必死に暴動を鎮めようとしたという。しかし今のチベット人は誰もがこの街の歴史を知らずに、店の前を無関心に通り過ぎていく。無理もない。ほとんどのチベット人にとってマクロードは人生の中継地点でしかなく、この僕ですら多くのチベット人よりもこの街の古株になってしまったのだから。でも、それでもいいのだろう。ただ、そこに在るだけ、感謝なんていらない、自分たちは150年ここで生きてきた、大地震も乗り越えて・・・そう、まるで「大きなノッポの古時計」のように。

写真をみせてくれるおじいさん 写真提供 安嶋郁子様

「私以外はみんな死んでしまったよ」セピア色の家族写真をみながら老人が悲しそうに呟いた。
最後のページをめくるとキングフィッシャー(カワセミ)の鮮やかな瑠璃色が眼に飛び込み、みんなが感嘆の声を上げた。キングフィッシャーはこの地方でビールの名前になるほど有名な鳥ではあるが直接眼にすることは稀である。いままで出会えなかった貴重な二つの宝物に同時に出会えたような、そんな満足感とともにお店の敷居をまたぎ、僕たちが住む現代の喧騒へと戻っていった。

小川 康 プロフィール