第62回・最終回●「ヒマラヤ」チベット伝統医療の力

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

「庭の松の木から10歩、南に進み、次に西に6歩・・・」
兄が作った暗号文を手掛かりに宝物を探しに出かける。その場所を見つけるとまた暗号文が隠されていて、なかなか宝物には辿り着けないが、難しければ難しいほど興奮度は高まってくる。そうして発見した宝は、どんなガラクタであっても輝いて見えたものだった。どんなガラクタだったのだろう・・・、今となっては色褪せた記憶も、その時のスリルと楽しさだけは僕の魂にしっかりと刻み込まれていたに違いない。それから20年後、28歳になった僕を「ヒマラヤの宝探し」へと導いたのは、きっと幼い頃、大自然に囲まれた故郷富山での「宝探しごっこ」だったと思っている。僕にとってチベット医学の原点はまさにそこにある。

チベット医学、それは古代の人々が人類の未来を託した究極の暗号文。暗号を解く手掛かりはヒマラヤの薬草一つ一つに隠されている。ある時は我慢強く薬草を採取しているときに脳裏に閃く。ある時は断崖絶壁に手を伸ばしたとき、ある時は遭難して生死を彷徨ったとき、ある時は教典を流れるように暗誦できたとき、ある時は同級生と喧嘩したとき、そんなときに初めて手掛かりが得られるように魔法がかけてある。汗と苦労と勇気とスリル、楽しさが満載された「ヒマラヤの宝探し」は「宝探しごっこ」よりもちょっぴり(?)危険で難度が高そうだ。もっとも、最初はどんな宝が隠されているのか想像もつかず、ただ漠然とした期待感に後押しされての出発だった。

今、僕は時間を遡ってあの時の僕の耳元で「ヒマラヤには凄い宝物が隠されているぞ」と囁いて教えてあげたくてたまらない。いや、もしかしたら、あのとき、未来からのメッセージが聴こえていたのではないだろうか。そう考えると初めて「どうしてチベット医学を目指したのか」という疑問を解決することができる。今まで幾度と無く問いかけられたこの質問に、いつもその場で思いついたことを語ってきたけれど、どれも本当で、どれも後から考えたこと。真の理由は、きっとこの10年間に出会った数多くの薬草、友人たちが一番良く分かってくれている。なぜなら彼らがチベット医学の真の魅力を教えてくれたのだから。

チベット伝統医療の力とはすなわちチベット民族と触れ合い、ヒマラヤの山々を駆け回り、仏教や歌などチベットの文化を学んで、全てと共鳴しあうことによって得られる強力な呪力。すなわちチベット医学とはチベットの大自然、歌、踊り、歴史、料理、絵画、仏教、言葉、人々、笑い、涙、すべてを包括している総合医療。チベット医学の力とは文化の力。だからアムチ(チベット医)はチベットの全ての文化を誰よりも体に染みこませなくてはならない。誰よりもチベット人とともに笑い、怒り、喜び、哀しまなければならない。伝統医学はその国の文化を同時に取り込んだときに初めて効力を発揮するのではなかろうか。だから漢方家は優れた中国文学者であってほしい、アーユルヴェーダならば優れたインド民俗学者であってほしいと僕は願っている。

「東西医学の融合とはすなわち、固有の伝統文化と現代先端医学との融合に他ならない。現代の医者が自国の文化を学び共振しあったときに新しい医学が生みだされる」

という僕の論文が近い将来においてノーベル医学賞の候補に挙がる…なんてことはないか。

「えっ、 10年かかって気付いたのは、たったそれだけのことなの?」とお叱りを受けるかもしれないが、僕にはそんな素朴な気付きが輝いて感じられる。「ガラクタ」も一度隠してから見つけると、もの凄い宝物に変わるように、きっと薬師如来さまはきっとこんな日が来ることを予想してチベット医学をヒマラヤに隠されたに違いない。でも、ちょっとだけ偉そうに言わせてもらうならば、この宝物は外国人の僕にしか見つけることは不可能だっただろう。なぜならチベット人にとっては日常の一こまに過ぎないことだから。

そして、10年に及ぶヒマラヤの宝探しを終えていよいよ日本に帰るときがやってきた。チベット医として現地で働かないの? 日本で何をするの? なんて質問攻めに遭っているこの頃だけれど、あんまり僕の返答を真に受けないでほしい。なぜならその真の答えは、これから訪れる未来に記されている。それでもあえて一つだけ思いつきの答えを紹介するならば、講演会や執筆活動を通してチベット文化を紹介していく「ヒマラヤの宝探し」と同時に日本の薬剤師として日本の大自然と文化を染みこませていく「ニッポンの宝探し」を始めようと思っている。

「草を楽しむ、と書いて薬という漢字が出来ました。まずは草から始めませんか?」

さあ、みなさんも“無邪気な遊び心”をリュックに詰めて一緒に出かけましょう。

長きに渡って「ヒマラヤの宝探し」を御愛読していただき本当にありがとうございました。                <完>

前回のクイズの解答
1サイ 2ワニ 3マンゴ 4カルダモン

小川 康 プロフィール