第78回●ンゴティン ~佐渡島の宿題~

tibet_ogawa078_1ンゴティン(日本名:アキカラマツ)

小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

さぞかし小さい頃から薬草に興味を持っていたのだろうと思われがちだが、実は23歳のときからだったと告白してしまうと自分の株を下げてしまうことになるだろうか。

17年前、23歳の僕は佐渡島の自然学園で指導員として働いていた。都会の子供たちが山村留学と称して1年間、寄宿舎生活を行い、その面倒を見ることが主な仕事。しかし、自分の高邁な理想とは裏腹に何の魅力も感じさせてあげられない無力さに打ちひしがれることになる。目の前が砂浜なのに水泳は根っから苦手で、工作や木工も苦手ときている。そんな時に、ふと浮かび上がってきたのが「薬草」というキーワードだった。薬剤師として薬草を学ぼう、と思いたち早速、海岸線に咲く花を観察しに出かけたのを今でもはっきりと覚えている。初秋の頃合だったろうか。人は闇を知った時に初めて光を求めて歩き出すのかもしれない。いや、少なくとも人生の選択肢に溢れている現代において絶望というのは必要な洗礼なのだろう。とはいえ、あのとき縁あって出会った子供たちの貴重な1年を無駄にしてしまったことへの申し訳ない気持は今でも残っている。

1年間で佐渡島から逃げ帰ると、早速、北信濃の山奥にある薬草茶会社に就職し本格的に薬草を学び始めた。そして僕はここで薬草の師であり、人生の師ともいえる上司に出会うことになる。時間を見つけては敬愛する師匠と飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山へと出かけてマンツーマンで薬草やキノコの鑑別方法や料理法などを教わったものだったが、思えばあの時からすでにチベット医学への旅は始まっていたのかもしれない。

そんな入社して1年目のころ、イベントの一環として薬草観察会を命じられ、生まれてはじめて20人近いお客さんを連れて黒姫高原を歩くことになった。アケボノソウ、リュウキンカ、ワレモコウ、メタカラコウ、ウツボグサ・・・。15年経った今でも順に名前をありありと思い出すことができる。最初は少し緊張していたけれど、次第にジョークも冴えだし笑い声が黒姫に響き渡った。心が久しぶりにワクワクしていた。“ワクワク”はみんなと共有したときに、さらに増幅されるものらしい。やっと社会の中で人様のお役に立てたという確かな実感があった。そのとき「薬草観察を仕事にしたい」と明確に意識して長野県自然観察インストラクターにも登録したものの、結局、特に仕事として活動する機会はないままに、日本を離れチベット医学を目指すことになる。

tibet_ogawa078_3アムチ薬房での薬草茶講座

あれから13年後の2010年夏。3ヶ月に渡って小諸高原で開催した薬草観察会「コモロDEチベット」には予想を遥かに上回る多くの方々にお越しいただいた。
「この薬草、チベット語でンゴティンって言うんですが、なんていう意味だと思いますか?この葉っぱのフワフワした形をよく見てください。・・・正解は雲です。素敵なネーミングじゃありませんか。では次にちょっと葉っぱを食べてみてください。苦いでしょう。二日酔いの方にはちょうどいい胃薬ですね。あ、そうそう、一応、日本名はアキカラマツ、または、高遠草といいます」
数分後にまた同じ薬草を見せて名前の問題をだすと「えーっと、何だっけ。フワフワ草?雲草だっけ?」や「あの苦い草」と答えてくれるので「はい、そのとおり正解です。今日からこの草はフワフワ草と命名されました」と切り返すとみんなの笑い声が小諸高原に響き渡った。

夢というのは描いたことすら忘れたころに叶うものなのかもしれない。正直に告白すると、知識や薀蓄だけならば昔の方が豊富で正確だっただろう。何しろ10年も日本を離れていると忘れてしまうこともある。しかし、チベット医学を学ぶ中でヒマラヤの山々を駆け巡り、メンツィカンの同級生たちと切磋琢磨したことで僕に変化が生じたのかもしれない。ヒマラヤの大自然が僕の背中を押してくれているのかもしれない。チベット人特有の“いい加減さ”が僕に“いい味”を与えてくれたのかもしれない。難病を癒す奇跡の施術や神秘の脈診は残念ながら会得することはできなかったけれど、薬草観察を仕事とするだけの実力が備わったのは薬草の大リーグ・チベットで修行した成果に違いないと感謝している。

tibet_ogawa078_2薬草観察会での筆者

もしかしたら、人生のやり残した宿題は必ずもう一度、降りかかってくるものなのかもしれない。だから、いつの日か、もう一度、佐渡島を訪れて、23歳の僕がやり残した宿題を片付けるために、子供たちに草の楽しさを教えたいと夢見ている。そうして、真っ暗な過去の闇を未来から明るく照らしたならば、きっと砂浜で思い悩んでいる23歳の僕は、あまりの眩しさに眼を閉じてしまうかもしれない。

お知らせ
この秋も「コモロDEチベット」
ダラムサラから帰国後、10月、11月にも秋の薬草観察会、薬草茶講座を随時、開催しますので、是非、小諸にお越しください。お待ちしています。