第86回●ツォテル ~名医・テンジン・チューダックの生涯~

小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

高貴薬

2008年4月、チベット薬の秘法中の秘法とされるツォテルの練成が5年ぶりに行われていた。ツォテルとは水銀や金、銀、銅、珊瑚、トルコ石、などの鉱物を無毒化して薬へと練成した黒い粉。これが配合される10種類の高貴薬リンチェン・リルプは不老長寿の妙薬とされている。200種類もあるチベットの丸薬の中でも高貴薬だけは、光の変質を避けるために一つ一つ布で包み、地水火風空の五元素を表す五色の紐で結ばれ、さらにプラスチックケースに入れられて、まさに宝石のようだ。

極めて複雑な練成作業は製薬工場の屋上に張られたテントの中で3ヶ月に渡って行われる。メンツィカンの中でもアムチを含む選ばれし20名だけが中に入ることを許され、上記の鉱物を高温、高圧で煮続けるなど危険極まりない作業が24時間、昼夜を徹して行われる。過去には釜が破裂する大事故も起こったという。ましてや水銀という猛毒の蒸気を吸わなくてはならないため、作業中は必ずチャン(チベットの酒)を飲んで酔っ払いながらではないと、歯が抜け落ちるなどの副作用で後遺症に苦しむことになるといわれている。そうして具合が悪くなった作業員は次々と当時、僕が研修していた病院へ駆けこんできたものだ。といっても、薬は解毒剤のタンチェン25と決まっているので、それほど処方に悩むことはない。彼らは一様に頬がこけて顔色が優れないけれど、それ以上に名誉ある仕事を任されている誇りに満ち溢れていた。このツォテル練成は13世紀にインドからチベットに伝わり継承されてきたが1952年、チベット本土ラサで行われたのを最後に途絶え、ダラムサラにおいても伝承者がいなかったために行われていなかった。伝説の名医テンジン・チューダック先生が亡命される1980年4月、そのときまで。

医聖テンジン・チュ-ダック 写真提供メンツィカン

先生は、1922年、ラサ近郊のヤブチェ村で生まれ、ラサにある元祖メンツィカンに1941年、入学した。入学金を納めるために親戚に頭を下げてお金を調達したことや、当初、チベット医学聖典「四部医典」を購入するお金がなかったために、必死で書き写したこと、月明かりやお香の灯火の下で自習に励んだ話、課題の暗誦ができないと朝食抜きなどの厳しい罰則があった話、たまたまゴミ捨て場から高価なお椀を見つけてこれを売り、そのお金でロドゥ・プンツォクという人から四部医典を購入した話など、チベット語で書かれた先生の自伝からは当時の医学生の生々しい様子が伺えて非常に興味深い。ちなみに薬草鑑別試験における罰ゲーム(第8話)で成績が悪かったためにロバを踊ったと正直に語られているが、現在「ロバを踊ると将来、名医になる」という慰めも兼ねた伝説が広まったきっかけはここにあるようだ。

それでも最終的には抜群の成績で卒業され、1949年にはダライ・ラマ法王のお母様の侍医に、そして1955年には33歳の若さにしてダライ・ラマ14世の侍医に任命されたのである。しかし1959年3月、中国共産軍の侵攻により収監され、それから17年間にも渡って厳しい獄中生活を送ることになってしまった。先生の左目の歪みは当時の拷問の熾烈さを物語っている。多くの同胞が厳しい環境で亡くなっていく中、先生は強靭な意志によってなんとか生き延びた。そして1970年に、たまたま中国人官吏を治療したことがきっかけで岩石採掘の労働使役からは解放され、囚人でありながらチベット医としても働くことになったのである。薬をメンツィカンから監獄へと取り寄せて治療にあたる特例を中国政府が認めたことからも先生の真の実力が伺える。

さらに1979年、亡命政府からの再三の要求を中国政府がようやく受け入れ、先生にインドへ出国する許可が下りた。そして、ラサで別れてから実に20年、ダラムサラの地において、ついに、ついに生きてダライ・ラマ法王との再会を果たしたのである。その瞬間、まったく言葉にならないほどの感激であったという。翌日からは20年前と同じように侍医としての務めが始まった。さらに1980年、先生の指導の下、念願のツォテル練成が行われることになり、しかもダライ・ラマ法王の御希望によりメンツィカンではなく法王のお寺の境内で行われ、法王も興味津々で見守っておられたという。こうして亡命チベット社会に初めて高貴薬が伝わったのである。

高貴薬の包装は毎週土曜日に生徒の奉仕活動で行われる

高貴薬には水銀が含有されていることから、外国ではなにかと物議を醸すことが多い。万病に効くというのも、なんとも怪しく聞こえることだろう。しかし、考えてみてほしい。こんなにもドラマチックな薬が世界のどこかにあるだろうか。仮に副作用があったとしても、高貴薬の最大の有効成分である「壮大な物語」は、それを凌駕してしまうのではないか。テンジン・チューダック先生が命がけで伝承し、アムチたちによって命がけで練成される薬の物語が、この小さな薬に込められているのだ。

その後、先生は法王の御健康を守り続けるとともにメンツィカンの発展に御尽力され、2001年、78歳で亡くなられた。それは僕がメンツィカンに入学する直前のこと。日向ぼっこをされている姿を、お見かけしたことがあるだけで、直接、お声をかけていただく機会がなかったのは残念でならない。1959年以前、つまり旧社会における純粋なチベット医学の教育を受けたアムチは先生が最後となってしまった。まさに「ラスト・サムライ」ならぬ「ラスト・アムチ」だったといえる。しかし、10種類の高貴薬とともに、先生の心はいまもチベット社会で生き続けている。

イベント告知
1月22日に故テンジン・チューダック先生を主人公としたメンツィカンのドキュメンタリーフィルムの上映会「素顔のチベット医学」を開催します。私が解説しますので、是非、お越しください。
「素顔のチベット医学」(主催:株式会社Satvic、小川アムチ薬房)

講座情報(好評受付中)

(土曜日の午前開催も検討中です。興味のある方はお問い合わせください)