第128回●ネンジェル ~死生観~

青蔵鉄道と平行して走る道路

チベット薬草ツアー4日目(第122話)、西寧(アムド地方の中心都市)からラサを目指す青蔵鉄道の窓には壮大な風景が映し出されていた。ひたすら続く大草原、遠くに見える雪山。ときおり遊牧民のテントとヤクの群れが見えるばかりで人の気配はあまり感じられない。鉄道に平行するように道路がまっすぐに走っているが給油所は少なく、かりにガス欠したらと思うとぞっとする。あまりにもラサは遠い。なにしろ西寧とラサで約2000kmも離れているのだ(東京・京都間で510 km)。その遠さに愕然としたとき、僕の心にふとした疑問が湧いてチベット人ガイドのペマさんに尋ねた。

ペマさん

「アムドとラサのあいだには、こんなにも広大な草原が広がっています。鉄道はもちろん、バスが通る以前は、いったい、アムドの人たちはどうやってラサ地方と連絡をとっていたのでしょうか」
実際、アムドの人たちとラサ地方の人とは地理的な距離に比例して性格が大きく異なっており、ちょうど大阪人と東京人のようにたがいに牽制しあうこともある。文字は同じとはいえ、アムド語は外国人の僕はもちろん、ラサの人たちでも理解は難しい。しかし、彼らがチベット仏教の信仰のもとに、そしてダライラマ法王のもとにチベット人としてのアイデンティティーがあることは間違いない。なにしろ現ダライラマ法王はアムドの出身なのである。

少し強面のペマさんは「よくぞ質問してくれた」と言わんばかりに身を乗り出して話しはじめた。「その通りです。ちょっと前までアムド人にとってラサに行くというのは思いもよらないことでした。私たちアムド人はラサを観音様がいらっしゃる土地として崇めています。そして、現世を充分に生き、務めを果たしたと思ったならば、人生の最後に、ラサへ徒歩もしくは五体投地で巡礼(チベット語でネンジェル)に出かける人もいます」
チベットを、アムドをこよなく愛するペマさんの語調は強みを増していく。

観光客で賑わう夏のポタラ宮

「多くのアムド人巡礼者たちが、ラサとのあいだの道中で亡くなったことでしょう。寒さか病気か飢えか、もしかしたら山賊に襲われたか……。でも、もしも、ラサのポタラ宮殿とジョカン寺への参拝が叶ったあとの帰り道だったとしたならば、当人も家族もみんな納得して死を受け入れることができるのです。私たちアムド人にとってそれくらいラサへの巡礼は大切なことなのです」。


ペマさんの話を聞いているうちに、車窓の趣が少しずつ変わってきた。この果てしない道のりをひたすら歩き続けたであろうアムドからの巡礼者たちの姿に思いを馳せる。いったい何人のアムド人が倒れ息を引き取ったことか。ラサ地方の諺に「ラセー・ゲモ、ラセー・ジョー・マジェル(ラサの老婆はジョカン寺には参らない)」がある。ちょうど東京人は東京タワーに登らないように、身近だからこそ興味を示さないという意味でよく用いられるが、同じチベット人でもアムド人にとっては信じがたい諺かもしれない。

チベット人は顔も性格も日本人と似ているところがあるけれど、チベットの鳥葬に代表されるように死生観は大きく異なっている。僕も一度だけ鳥葬に先立つ「ポワ」の儀式をチベット本土で見たことがある。ポワはもともとチベット語で「移動する」という意味があり、この儀式では魂を身体から移動するという意味合いがある。ポワを終えた遺体は折り曲げられ粗末な麻袋に入れられて運ばれていった。魂が抜けきった遺体はすでに抜け殻であり、日本ほどに大切に扱われない(ただし、高僧などの場合は別)。死生観が違えば、そこに根差す医学の在り方も大きく異なってくる。だから、日本社会にチベット医学を紹介していく際には、まず、風習や文化とともに、その死生観を理解してもらわなければならないと思っている。

青蔵鉄道の車両 ゴルムド駅にて

標高5072mの最高地点タングラ峠を越え、アムド地方を過ぎ去ったあたりで、乗客は雄大な車窓に食傷気味になり疲れが見えはじめる。しかし、かつて、アムドからの巡礼者たちにとって、この峠を越えることは、すなわち、観音様の浄土・ラサへの希望ではなかったか。そして、もしも、この道中で息絶えるより他に手段がなかったとしたなら、巡礼者たちが最後に思いを馳せたのはラサか、それともアムドのふるさとか、はたまた来世か。そんなことを考えながら、こうして豪華列車に揺られている自分自身を顧みた。

余談
チベット語で胃を「ポワ」といい、食物が栄養分へと変化する過程の場所であることから名づけられている。