第134回●ツォン ~22年の回り道~

つい先日、都内への大学院進学にともない(第129話)小諸で引っ越し作業をしていたとき、茶色く変色した22年前の切り抜きが出てきた。

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コラム・編集手帳

豊かさは生きていることのあかしを見失いがちな若者を生んでいる。競争は他者への優しさを奪ってもいる。そんな中で手ごたえある生き方をひたむきに探す若者もいる。◇日本青年奉仕協会の「ボランティア365」は、そうした青年に活動体験の場を与えるのが狙いだ。大学を休学したり、会社をやめて一年間、福祉施設やホスピスで汗を流す。十二年目の今年も五十四人が全国に散っている。◇山田恵美子さん、元FM放送アナウンサー、二十七歳はいま、山梨県の「どんぐり牧場」にいる。七人の知恵遅れの青年たちの自立の場だ。五千羽の鶏を飼い、卵を売り、ケーキを作る。野菜も自給だ。◇来たばかりの四月、玉ネギはないのかと聞いて、主の横山文彦さんにどやされた。「畑を見ておいで。あるもので献立を考えるんだ」。何でもスーパー、の不自然さを思い知る。◇人が一緒に生活することの意味がわかりかけている。「何かしてあげる、ではなく、共に認め合うものなのですね。でも与えるというより頂くもののほうがまだ多いみたい」◇回り道をしてもいい。人生を見直したい。新しい体験をしたい。そんな若者たちに、思わずがんばれよと言いたくなる。協会は来年の参加者を募集中だ。

『1990年9月頃の読売新聞朝刊、編集手帳』

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もしも、この小さなコラムを見逃していたら、僕は東北大学薬学部を卒業後、普通に大学院に進学し、いまごろ製薬会社に勤めていることだろう(第26話第103話)。20歳の僕の心を強く揺さぶった古い記事は、いまとなっては懐かしさ以外に僕の心を揺さぶることはほとんどない。どうして、あのときあんなにも強く共感してしまったのだろうか……。しばし、コラムを読み返しながら考えてみる。すると「畑の玉ネギ(チベット語でツォン)」がキーワードではないかと思い当たるとともに、8年前に97歳で亡くなったおばあちゃんを思い出した。

「おばあちゃん、ウドンになーん、ネギ、入っとらんないけ(富山弁)」。小学生の僕は、よく、おばあちゃんにこんな不平を言っては困らせたのを覚えている。すると、いつも、おばあちゃんは「はい、はい」と背戸から裏の畑へのんびりとでかけていった。畑にはネギやジャガイモ、スイカ、キュウリ、トマト、サトイモ、などなど一通りの野菜が育てられている。ところが、おばあちゃんが土付きのネギを持ち帰ったころには、僕はウドンを食べ終えて汁しか残っていない。そんなことが何度もあったけれど、おばあちゃんはいつだって「はい、はい」と裏の畑へ採りにいってくれた。いま思い出すと後悔しきりだが、たぶん、そんな残酷な思い出とともにあるからこそ裏の畑のネギが僕の心に焼き付いていたのかもしれない。そして、僕は「はい、はい」と裏の畑から薬草を採ってくるような、土と汗の匂いがする薬剤師に憧れてチベット医学を目指していくことになる(第20話)。どんぐり牧場の横山さんのように「山を見ておいで。あるもので薬の処方を考えるんだ」と格好よく言ってみたかった。

ヒミングの開会式

そして、あれから22年後の2012年5月、僕は富山県氷見の山で「さあ、山に入って薬を作ろうよ」と参加者に向かって叫んでいた。それは、山で歩き、探し、摘み、喋り、運び、洗い、乾燥し、焙煎し、服用してもらうという薬草ワークショップ「ヒミング」を開催したときのこと。この瞬間、やっと長年の夢が叶い、僕の人生時計の針はふたたび1990年の9月へと巻き戻されたようだ。だから、ヒミングから3週間後、大学院に進もうと思い立ったのは、きっと、突然ではなく必然だったのではないかと、いまこうしてエッセーを書きながら思い当たった。「さあ、山に入って薬を作ろうよ」と日本中に向かって大きな声で叫ぶために。

みんなと一緒に薬草を探す筆者

自分が進むべき本当の道「薬育」を見つけるまでに22年間も要したことをこの古びた記事は教えてくれている。それにしても「回り道をしてもいい」とはいえ、ついつい、長い、長い回り道をしてしまった。裏の畑へネギを採りに出かけたら、そのままチベットへ行ってしまい、やっと帰ってきた浦島太郎のような感覚だ。髪はちょっぴり薄くなったけれど意欲だけは22歳のときと何にも変わっていない。でも、お店や映画館で学割を提示するときはちょっと照れてしまいそうだ。4月2日は入学式。さあ、いよいよ43歳での大学生活がはじまる。


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