第136回●サンポ・ドゥク ~薬師如来の潅頂~

サンポ・ドゥク

昨年、ダラムサラを訪れた際、製薬工場で指揮を執っている親友のジグメに「サンポ・ドゥクを一握りずつ売ってくれないか」と頼みごとをした。
僕の突然の申し出にジグメは「薬師如来にお供えするのか」と答えると、すぐさま6つの生薬を集めてきてくれた。「お金はいらないよ。それにしても、オガワ、お前もようやくサンポ・ドゥクを仏前に供える気持ちになったのか」と嬉しそうに語るジグメ。僕は少し照れくさい表情を浮かべながら、6つの生薬が入った袋を受け取った。サンポ(優良)・ドゥク(六果)、それは医薬の都タナトゥクの西側のマラヤ山(第66話)に生えるナツメグ、サフラン、竹瀝、クローブ、カルダモン、ブラックカルダモン、の6つの生薬を指している。その6つの種がマラヤ山からインドに零れ落ちて繁殖した。そして、インドからヒマラヤを越えてチベットに運ばれてくる貴重な生薬だったことから「優良」という冠詞が付けられ、薬の原材料としてはもちろん、薬師如来への供物として珍重されてきた。仕事中のジグメは製薬工場の事務室の椅子に座りなおすと、「まあ、座れよ」と僕にも椅子を勧めて話を続けた。

薬師如来の灌頂

「俺は本当に嬉しいんだ。どうしてか分かるか。やっと、お前がチベット仏教徒の一員になったからなんだ。覚えているか、9年前、大学2年生のとき薬師如来の潅頂の儀式があったよな。あのときオガワが膝を抱えて退屈そうに2日間を過ごしていたのを俺はいまでもよく覚えている。ほんとに辛そうにしていたよな。あんなに宗教心のなかったお前が、変われば変わるものだ」。

チベット仏教・医学の教えは必ず「ルン(口伝)・ティー(教授)・ワン(潅頂)」の3段階に従って伝授される。ルンの儀式では四部医典を最初から最後まで師が音読し、それを弟子がひたすら聞き続ける。ティーとは師による講義を指し、ワンとは特別な力を授ける灌頂の儀式である。なかでも最後の灌頂はもっとも重要とされる。そして、2003年、密教を修めた高僧をメンツィカンにお招きし、2日間に渡って薬師如来の潅頂が執り行われた。潅頂を受けると特別な力が具わるとされることからチベット人たちはとても有難がり、また、密教の神秘的側面が強いために外国人からの人気も高い。しかし、正直、密教の儀式は内容がさっぱり理解できない。一例を紹介すると、1人1人に赤い鉢巻が配られ、ときに鉢巻きで目隠しをする。または、頭の上をいろんな供物が通り過ぎていく。初日はまだ物珍しさも手伝ってシャンとしていたが、2日目になるともう完全にグロッキー状態。そうして緊張感が切れてしまった僕は膝を抱え、ただ、ただ灌頂の儀式が終わるまで耐え忍んでいたものだった。そこにいくと敬虔な仏教徒である同級生たちは、理解できないなりに真剣に2日間を過ごしていく。そんなとき、ジグメだけでなく、おそらくほとんどの同級生たちが僕の「やる気のなさ」ぶりに呆れていたことを10年後のいまになって知り、恥ずかしさが込み上げてきた。

生薬を受け取った後の記念写真
左からジグメ、僕、ペンパ
製薬工場にて

「ははは……、僕も若かったよ。正直、なんで医学に仏教が必要なんだって思って反抗していた。でも、メンツィカンでの6年間に及ぶ共同生活が少しずつ僕を変えたんだ。こんな頑固な僕を変えた力、それこそがチベット医学、いや、チベット社会、つまりみんなの力だと思う。チベット医学の本当の凄さは薬や診断法にあるんじゃないと、あえて言いたい。この社会、そして、みんな1人1人が“心に効く”最高の薬なんだから」。
そう僕が謙虚に語ると、ジグメは眼鏡を外し零れ落ちる涙を拭った。そして眼鏡を掛けてこちらに向き直ると、それまでの日本人オガワを見る眼ではなく、一人前のチベット人を見つめるまなざしがレンズの向こうで輝いていた。旧友が、やっと真の法友に成長した喜びとともに。

小川家の仏壇
薬師如来画は、
チベット仏画師しろのゆみ作

こうして、いま、サンポ・ドゥクは自宅の薬師如来仏画の前に供えられている。その仏前で毎朝、五体投地をし、薬師如来経を読経している。我ながら、こんなにも人は変われるのかと驚いているところである。薬師如来の灌頂で膝を抱えていた小川康は、もう、どこにもいない。


(参考)
竹瀝:
タケノコの皮をめくったときに皮についている白い成分。竹を切って火で炙ると白い液がポタポタと落ちてくる。それを固めたもの。

灌頂(かんじょう):
主に密教で行う、頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とする為の儀式。

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