第212回 デ ~米の話~

tibet_ogawa212_2よろける妻

 富山の田園地帯の米農家に生まれ育ったからといって米の味にうるさいかといったら、まったく逆である。なにしろ家の納屋には古米(昨年の米)ならまだしも古古米(一昨年の米)が常に備蓄してあって、当然、古い米から順に食べていくことになる。したがって小学校6年まで、正確には祖父が亡くなるまで、炊きたてでも黄色みがかった古古米を毎日食べていた。しかも、小石がたくさん混じっていて歯が欠けそうになった。たぶん、戦前戦後の食糧難の時代を生き抜いてきた祖父の世代の知恵なのだろう。年に一度、10月の秋祭りの日だけは真っ白な新米を食べられるのだが、あの日の米の美味しさと白さを感動とともに覚えている。何杯も何杯もおかわりしたものだった。たまに外食した時のご飯がとっても美味しく感じられた。昭和50年代になっても小川家だけはまだ戦後を生きていたのだ。

 とはいえやっぱり富山は米にはうるさい土地柄で、事実、大正時代の米騒動は富山で発生している。そして平成の米騒動は1991年に発生した。富山の川崎商店がみずから「食管法に抵触するヤミ米屋です」と宣言し「自分を訴えろ」と世間に訴えたのである。食糧管理法、略して食管法、戦前戦後の混乱のなか、お米を正規に流通させる必要性のなかで1942年に生まれた制度である。農協以外のルート、つまり生産者が米を直接、消費者に販売すると「ヤミ米」と有難くない名称で呼ばれた。しかし、川崎商店はまさにガンジーの「塩の行進」のごとく(第211話)堂々と違法行為を冒しマスメディアの話題をさらうと堂々と裁判に臨んだ。けっきょく富山地方裁判所は食管法を時代にそぐわないとして川崎さんの勝訴とし、この裁判が切っ掛けの一つとなり長年続いた食管法は1995年に廃止された。などと富山県出身というだけで偉そうに語っているが、食管法の存在を僕は(塩と酒と同じように)そのときまで知ることはなかった。

tibet_ogawa212_3田植えをする妻と叔母

 チベットでは米をデと呼ぶ。高地のチベットでは栽培されず標高の低い地域からいまも昔も輸入している。「米は油性、滑性、涼性、軽性、の性質があり、三体液すべての病を癒し、精力が強まり、下痢と嘔吐を止める。(釈義タントラ第16章)」と四部医典には記され、このなかでも「軽性」の部分が実社会のなかで意識されている。たとえば朝、米を食べると消化が良すぎてすぐにお腹が減って仕事がはかどらないため朝食に米は禁忌である。朝は青麦(第57話)で作られるツァンパか小麦(第20話)で作られるパンを彼らはよく食べる。下痢のときは米を粥にして食べるのは日本と同じである。ただ、やはり「軽い」という性質のためか米は主食の青麦に比べて軽視されやすく、たとえば米粒は無造作にどんぶりに残されるため日本人として気になることはしばしばあった。

 いっぽうインドでは日本ほどではないにせよ米の地位が高く、特にデラドゥン(デリーから北東に8時間)地方のバスマティ・ライスは最高級とされ、なによりも炊いているときの香りが素晴らしい。インドの米は総じて細長で粘り気が少なくて、カレー全般との相性がいい。日本米に似た丸型の米はローカル・ライスと呼ばれ、いちばんランクが低く最安値だったのは日本人にとっては有難かった。総じてインド人もチベット人も日本米をスティッキーライス(粘り気のある米)と呼んで好まない。日本米を食べると粘り気が強すぎて便秘になるという噂を実際に耳にしたことがあるが即座に否定しておいた。こうして日本を離れていても米に対するこだわりと離れることはできなかったのは、やはり富山県人だからかもしれない。

tibet_ogawa212_1米を炊くためでもある薪

 そこで話をまた富山に戻したい。手広くやっていた小川家の田んぼはいまでは2反弱だけになってしまったが僕たち夫婦と兄の一年分としては十分である。古くからお付き合いのあるご近所さんが田んぼの世話をしてくれ、僕たち夫婦はたまに帰省して田んぼの隅っこの田植えと畦の草刈りだけ手伝っている。それでも10月になると「小川家の米」として新米を美味しく食べられるのは有難い。もう古米を食べることはないのはそれだけ豊かになった証だといえる。お米が家にあり、田んぼを所有しているという後ろ盾は「貨幣経済」とは異なる豊かさをもたらしてくれる。それはもしかしたら農耕が生まれた弥生時代にはじまり、米の石高が豊かさの指標だった江戸時代まで続いた2000年間の記憶が日本人の身心に沁みついているからではと考えられないだろうか。付け加えると、薪が蓄えられていくときも同じような安心感と豊かさを実感することができる。つまり、薪で火を起こし米を炊く。もちろんこの二つに現代社会の主役である貨幣の豊かさが加わればまさに「鬼に金棒」なのだが……、2017年、こちらも頑張ります。

案内
2017年2月をもちまして『ヒマラヤの宝探し』はちょうど連載10周年を迎えました。もともとはメンツィカン在学中に書きためた20話ほどのエッセーを「せっかくだから」と発表しようと思ったことが切っ掛けでした。ですから2007年2月初旬にスタートした当初は10年も続く予定はまったくありませんでした。ところが210話を越え、いまなお、ふとしたときに発表したいテーマが浮かんでくるのです。きっと「宝探し」はまだまだ通過点であり、まだ見ぬ「本当の宝物」がどこかに隠されているような気がしています。とはいえ、ここでいったん10年の連載を振り返るとともに、初心に帰るべく「チベット医学とヒマラヤ高山植物」と題して講演会を開催します。是非、ご参加ください。そしてもしよかったら、これからも御一緒に「宝探し」にお付き合いください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


講演会情報
【東京開催】 2/11(土)「ヒマラヤの宝探し ~チベット医学と高山植物~」
【名古屋開催】 2/12(日)「ヒマラヤの宝探し ~チベット医学と高山植物~」



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ザンスカール出身日本語ガイド・スタンジンと行く

インド最奥の「信仰の里」 ザンスカール10日間

出発日設定2019/09/14(土)
ご旅行代金422,000円
出発地東京