第288話 ツァン ~巣~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

森のくすり塾 秋

森のくすり塾 秋


 残暑厳しい9月4日、薄着のまま店の駐車場へ出かけた。駐車場は店から約80m高低差30m離れたところにあるため管理を怠りがちになってしまう。なにしろ上田市で(当時)コロナのクラスターが発生しているために来客の気配すらない。そして赤い三角コーンを枕木の橋の上に何気に移動させたそのとき、足の数か所に激痛が走った。「蜂に刺された!!」。僕は蜂を目視するまでもなく、瞬間的に逃げ出して店へと駆け戻り、すぐさま患部を水で洗い流して冷やした。くるぶしと尻と膝の四か所も刺されている。これが痛いのなんのって。左足がだんだん腫れてきた。「病院に行った方がいいんじゃない」と妻は勧めるが、心拍に異常は見られないし腫れは足だけで止まっている。しばらくして症状は落ち着いてきたものの保冷剤で患部を冷やし続けた。

この枕木の下に巣を作った

この枕木の下に巣を作った

夕方、車の窓を閉め切って現場検証へ。すると枕木の隙間からキイロスズメバチがどんどん出撃して、車に激しく当たってくるではないか。四か所だけで済んでよかったと安堵しつつも、すぐに対策を練らなくてはならなくなった。さて、どうしたものか。来客者の車が少なかったために安心して枕木の橋の下に巣(チベット語でツァン 注1)を作ったようだ。いままではアシナガバチが店の軒下に巣を作ったことが何度もあったが、そのたびに長い竹の棒で「ごめんなさい」と巣を叩き落とすだけで殺生しないように心がけていた(注2)。そうした僕の姿勢はチベット社会の影響を強く受けている。

ミツバチ

ミツバチ

 チベット社会では仏教の教えにもとづき殺生をできる限り避ける(第219話)。殺生は十不善業(注3)の筆頭に挙げられており僧侶ならばなおのこと。南インドのチベット寺院の軒下に巨大なスズメバチの巣をいくつも見つけたとき、さすが仏教の本場だと感心させられたものだった。なおスズメバチに限らず、蜂は危害を与えない限り攻撃はしてこない(注4)。虫や動物たちとの共存の習慣と理解がチベット社会には存在している。とはいえここは安全第一の日本国である。来客者が刺されれば大問題に発展しかねない。よりによって枕木の下は狭くて様子がわからず対処しにくい。そして一晩じっくり考えた翌朝、巣を火攻めすることに決定した。専門の業者に依頼するか、もしくは強力殺虫剤を用いるという手段もあるが、なんとなく卑怯な気がしてしまうのは僕のこだわりである。殺生してしまうのは同じでも、できるだけ原始的な手法において対峙すべきではないかと思うし、それが自分に課したせめてものハンディキャップである。

古いスズメバチの巣

古いスズメバチの巣

 厚手の服の上からさらに透明な雨合羽を上下着こみ、厚手の長靴をはき、薪ストーブ用の鹿皮の手袋をはめて完全に防御した。けっこう緊張している。よりによって残暑がいっそう厳しく熱中症で倒れそうだ。そして妻が遠くから心配そうに見守るなか、大量の杉葉を抱えて巣に近づいて枕木の下にもぐりこんで押し込むと、慌てふためきながら火をつけた。枕木ごと燃やさんばかりに火が燃え上がり蜂たちは大混乱に陥った。巣の外に出ていた蜂が慌てて戻ってきて火のなかに飛び込もうとする。女王蜂を助けようとする健気な姿に心を打たれたけれど僕も必死なのです。こんな残酷な姿をメンツィカン(チベット医学暦法大学)の同級生たちには見せられないなと、自責の念とともに彼らの顔が浮かんでくるのは、我ながらメンツィカン卒業のアムチ(チベット医)だなと妙に納得してしまった。

 なお、蜂に刺されたときの薬草民間療法についてときおり訊ねられるが、できるだけ早く水で洗い流し患部を冷やすことに勝る応急処置はない。これは打身、ねん挫、出血の場合も同じであり、薬草を用いた民間療法にこだわらないほうが賢明である。少なくとも「蜂に刺されたら小便をかける」というのは止めてほしい。

 幸いにして僕はスズメバチに刺されてもあまり腫れない体質のようで大事には至らなかった。とはいえ二度目に刺されるとアレルギー反応を生じる怖れあるので来年以降は注意が必要になる。スズメバチが攻撃的になる8、9月は注意深く店舗の周辺、駐車場を見まわるとともに、たまに周囲で火を焚いて巣を作らせないように先手を打っていきたいと思っている。いやー、それにしても痛かった(涙)。

注1
ダン(蜂)ツァン=蜂の巣  イク(文字)ツァン=事務所  タブ(竃)ツァン=台所  ミ(人)ツァン=家庭
ちなみにブータンのパロには「タク(虎)ツァン(虎の巣)」という断崖絶壁に建てられた寺院がある
参考:「ブータンの玄関口」パロ観光のみどころ

注2
ただし蚊は殺生しています。すいません。

注3
1.殺生 2.窃盗 3.淫らな性行為 4.虚言 5.誹謗 6.粗暴な言葉 7.無意味な話 8.強欲 9.悪意 10.邪見   (『仏教心理学キーワード事典』 春秋社)

注4
黒い服を着ていると、蜂蜜を狙って巣を襲う熊と勘違いして攻撃してくることがある。山を歩くときは念のために白っぽい服装が安全です。なお火攻めは周囲に人家がまったくない山奥だから可能であって、住宅地では絶対に真似しないでください。

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