第298話 ジョンシン ~巨樹~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

大六のけやき

大六のけやき


 ひときわ魅力を放っている巨樹が近所にある。その名は「大六のケヤキ」。起源は鎌倉時代、源頼朝の時代にまで遡るとされ、12mもある幹回りを見ればさもありなんと納得してしまう。なによりも民家の隣に立っている姿がなんとも自然で魅力的だ。文化財に指定されたおかげでかろうじて整備がされ一応看板が掲げてあるけれど、ほとんどの観光客は知らずに通り過ぎるし、ガイドブックにも紹介されていない。地元の人の多くは「ああ、あれね」とまさに東京人の東京タワーのごとく関心を払わない。だからこそ、かえって魅力が増すというものだ。とはいえ、かくいう僕だってもともと巨樹に関心があったわけではない。風の旅行社の巨樹愛好家・水野さん(注3)が上田を来訪した際に、巨木巡りを御一緒したことが切っ掛けでじわじわと興味が顕在化してきたのである。

別所温泉にはカツラの巨樹、そこから東へ5キロに龍光院のケヤキ、そこから東へ1キロに前山寺のケヤキ2本。そこからやや北東へ3キロに大六のケヤキがあり、さらに東に6キロ進むと天神宮のケヤキがあり、ここ上田は巨樹の宝庫であることをはじめて知った。洪水、噴火、地震、台風など大きな自然災害が少ない土地だからではないかと推察する。また、巨樹を並べると東西にほぼ一列になるのは、かつての鎌倉街道(注1)に沿っているが所以であり、交通の際のランドマーク(目印)としての役割を果てしていたのではと想像が膨らんだ。目印はずっと変わらないからこそ価値を帯びるというもの。こうしてじわじわと顕在化する興味は幼少期の潜在的な記憶を掘り起こしはじめた。

龍光院のケヤキ 龍光院のケヤキ
前山寺のケヤキ 前山寺のケヤキ

富山県高岡市の実家の30m北側と30m南側にはそれぞれお諏訪さんと呼ばれる推定樹齢400年の杉の木が相対して立っていて、家はちょうど中間に位置していた。特に北側のお諏訪さんは縁側から毎日のよう眺め、お諏訪さんに見守られて育ったといっても過言ではない。枝が対称形に張り出した美しい巨樹だった。南側のお諏訪さんは僕が5歳のとき、北側は10歳のときに伐採され、いまは何も残っていない。地元の『戸出町史』(1972刊)には「相対杉の由来は謎である」としつつ、次の6つの仮説を挙げている。(1)水源説、(2)参道の入り口説、(3)刑場跡地説、(4)疫病の死者を弔った説、(5)倶梨伽羅合戦(1183年)の死者埋葬説(注2)、(6)北陸道の一里塚説。

明治時代、小川の御先祖様は伏流水の湧水がもっとも豊富な地点を選んで家を建てたという言い伝えが残っていて、実際、小さい頃から豊富な井戸水で育ってきたことを考えると①の水源説が最有力となる。そういえば森のくすり塾は諏訪の神様を祀った塩田水上神社の隣に位置し、参道の入り口には樹齢推定400年の立派な杉が相対して聳えている。けっして信仰深いとはいえない自分ではあるけれど、お諏訪さん、並びに杉のご神木とは不思議な縁に恵まれているようだ(第236話)

北側の御諏訪さんと祖母と兄 北側の御諏訪さんと祖母と兄

 厳しい気象条件のチベットには巨樹が日本ほどに存在しないが、チベット医学界には三本の巨樹が存在し大切に保存されている。その正式名は「ニャンゲン(苦悩)・メーペ(無い)・ジョンシン(樹)」、通称「ソリク(医学)・ドンポ(樹木)」という。

三本とは「身体生理学の樹木」、「診断の樹木」、「治療の樹木である。合計9本の幹、47本の枝に224枚の葉が茂り、二つの花に三つの果実が実っている。メンツィカンの教室の壁には三本の樹木が描かれ、樹木に囲まれて四部医典を学ぶ。そして医学生は四部医典を暗誦しつつこの樹木の模型を組み立てることで四部医典の内容を学んでいく。つまり医学部生の心の中に樹木を育てているといえる。なによりも四部医典の暗誦やヒマラヤ薬草採取に象徴されるように、1000年近くも学びの伝統を忠実に守り続けているという意味では立派な巨樹といえないだろうか。その巨樹はあらゆる医学の源泉がそこにあることを教えてくれるランドマーク。いわゆる現代医学が目まぐるしく移り変わっていくものだとしたら、チベット医学はずっとそこに、あたりまえのようにあり続ける巨樹のようなもの。
「大六のケヤキ」をはじめとした巨樹の魅力に気が付くことで、僕はチベット医学の新たなる存在意義に思いあたることができたようだ。

メンツィカン13期生 とチベット医学の樹木

メンツィカン13期生 とチベット医学の樹木

注1
鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網。別所温泉を含めたこの地域は古くから仏教文化が花開き、鎌倉時代から室町時代にかけて造られた国宝や重要文化財、県宝などが数多く点在していることから「信州の鎌倉」と呼ばれている。

注2
昭和の初期に水田の開拓したところお諏訪さんの周りから多数の人骨が出土した。個人的には倶梨伽羅の合戦説が興味深い。牛の角に松明をくくりつけて一気に暴走させることで平家軍を蹴散らしたとされるのだが、水牛の調達はこのお諏訪さんの周辺でされたという(戸出町史)。そうだとしたら樹齢が800年近くになるのでいくらなんでもそれはないであろうが、改めて弔うために400年前に植樹したとも考えられる。

参考 大六のけやき(巨樹マップ)
   塩田水上神社の杉 

注3
おまけ情報:巨樹愛好家・水野のお勧めの巨樹
東松山市にある、坂東三十三観音霊場の第十番、巌殿山正法寺(岩殿観音)にある大イチョウが実に見事です。
残念ながら数年前に関東に降った大雪のため大きな枝が折れたため、以前のような黄葉が見ることができなくなってしまいましたが、この木の存在は、見ていて鳥肌がたつ思いがします。この木の根元にある大岩を、蛇が絡みつくように根が抱きつく様子が、実に見ごたえがあります。東松山市指定の天然記念物ですが、県指定でもおかしくありません。我が家からでも車でも電車(東武東上線&バス)でも、小一時間で行くことができるので、12月の初めには必ず見に行きます。
正法寺の大銀杏

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