第303話 ネージョル ~ヨガ~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

日本人向けヨガ教室 2008年

日本人向けヨガ教室 2008年


 メンツィカン(医薬暦学院。北インド・ダラムサラ)を卒業し寮生活から解放された2008年研修医の時代、毎朝ヨガ教室に通っていた。といってもそんなに大袈裟なことではなく、たまたま現地に長期滞在していた日本人ヨガ講師がボランティアで日本人向けに開催してくれていた。朝6時半に日本食レストランのあるビルの屋上に集合し太陽礼拝のポーズからはじまる。僕の身体が異常に硬いこともあって不可能なポーズは多々あるけれど、早朝のヨガはとても気持ちよかった。8時に終了後、慌てて朝食を取って9時からの診療に間に合わせた。しかしヨガを真剣にやりすぎるせいで、午前の診察中は眠くて眠くて、脈診をしながら気が付くと居眠りをしたこともあったのは本当の話である。
メンツィカン・ヨガ教室 2007年

メンツィカン・ヨガ教室 2007年


その一年前、メンツィカン5年時には朝5時から学生を対象にヨガ教室が開催された。講師はインド人の教室でヨガを学んだチベット人。当初は興味津々だった半面、途中で笑いを堪え切れない学生が多数いて、最後には「やっぱり自分たち(チベット人には)あわないな」と2週間ほどで下火になっていってしまった。意外に思われるかもしれないが一般チベット人にとってヨガはどこか西洋的で目新しい存在である。さらに、静粛に美学を見出す日本人からすると、これまた意外に思われるかもしれないが、静粛を重んじる雰囲気を一般のチベット人はかなり苦手とする。そもそも日本ほどに健康を意識しないのでヨガに限らず普段から体操のようなことはしない。ただし、五体投地(第146話)はヨガの太陽礼拝と起源を同じくしているのではという説はあるし、朝夕の寺院の巡礼によって(目的は健康にはないが)結果的に日本人よりも健康的な生活をしていることを補足しておきたい。
ジョカン寺の前で五体投地をする人々

ジョカン寺の前で五体投地をする人々

このように一般のチベット人にとっては遠い存在だが、ヨガはチベット語でネージョルと呼ばれ、密教修行法の一つとして位置づいている。ただし、それは悟りへの道の一過程として行われるものであり、けっして健康増進のためではないことを強調しておかなければならない。また、密教に属するゆえにヨガの技法が一般社会に普及することはない。そしてそのあり方はヨガの原理的な姿を正しく保っているといえる。なぜなら、ヨガ発祥の地であるインドにおいては、同じく精神的修行の前段階として行われていたものだからである。
健康法としてのヨガが世界に普及した歴史を簡単にたどってみたい。もともとインドではみんながヨガに親しんでいたわけではない。20世紀初頭、ラマ・チャラカというインド風ペンネームのアメリカ人によるヨガに関する著作がアメリカで人気となって、ヨガ理論が美とフィジカル面の健康に着目して大衆化された。その背景には出版業界の発展とオカルティズム(神秘主義思想)があるといわれ、その関連書が日本を含めて世界に伝わった。さらに1960年代のアメリカに端を発するヒッピー運動、ニューエイジブームによってヨガブームはさらなる高まりをみせ、発祥の地であるインドには逆輸入される形で戻ってくることになる。そして現代ではインド人も外国人と同じような感覚でヨガに取り組みはじめている。ただしその原理を忠実に保ち続けているインドのヨガ行者からは、その精神的な本質は失われてしまったという批判もあり、原理的なヨガと、大衆化されたヨガを区別する動きがみられる。
こうして伝統文化が他国、特にアメリカにおいて大衆化され、それが本家に逆輸入される現象は、近年の「チベット医学」の変容と事例が似ている。第278話で言及しているが、日本を含めた海外で語られる神秘性を帯びたチベット医学と、チベットにおける日常に根差した伝統医学はすっかり別物になってしまった感がある。そのギャップは2000年代のメンツィカン内ではすでに議論の対象になっていた。

笑いヨガ 2007年

笑いヨガ 2007年


 もちろん文化の伝播と変容は歴史的に普遍的なことであり目くじらをたてる必要はないかもしれない。しかし少しだけ目くじらを立てることで大衆化のスピードを緩め、行きつ戻りつの葛藤を社会に産みだすこともまた普遍的な必要性があるのではないかと、チベット医学における自分の立ち位置を確かめているところである。
仮に、外国から押し寄せる大衆化の流れにのみ込まれ、何百年と受けつがれてきた膨大な暗誦や薬草採取などの伝統を見失い、寮生活も快適になったならば(残念ながらメンツィカンはすでにそうなりつつあるのだが)、そこにはなにも残らなくなるのではと、僕は学生ながらに当時から主張していた。ただ、こうしてヨガの変容の歴史を辿り、自分自身が大衆化されたヨガを楽しむことで、移り変わっていくチベット医学に対して少し寛容になれるような気がしている。
いまも毎朝、すっかり自己流に変容させた「太陽礼拝らしきもの」を実践しています。
太陽礼拝らしきヨガ

太陽礼拝らしきヨガ

参考書籍
『近現代日本の民間精神療法』(栗田 英彦、塚田 穂高、吉永 進一(編) 国書刊行会 2019)

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