第316話 ダクペー・ブ ~ミミズ~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

森のくすり塾の畑(サツマイモの収穫)  森のくすり塾の畑(サツマイモの収穫)

 富山県の山奥。とある小さな集落で開催された婦人会に講師として招かれたときのこと。話の切っ掛けになればと薬としてのミミズを紹介した。ミミズは古来より解熱薬として地竜(ジリュウ)の名で用いられてきた正式な漢方薬の一つである(注1)
すると僕の話しにかぶせるように、一人の老婆が息せききったように話しはじめた。小さい頃、祖母と一緒に畑でミミズを薬用に採取していたというではないか。畑に筵(むしろ)を敷いて土をかけておくとミミズが集まってくる。それを集めて、一匹ずつ腹を割いて土を洗い流す。ミミズは驚くほどに土を体内に貯めているそうだ。そのミミズを板に打ちつけて乾燥したものが地竜である。

 いままで講師として全国を周るなかで、幼少期にミミズを服用させられたという辛い思い出話は幾度か耳にしたことはあったが、こんなにもいきいきと、そして正確に思いだして語ってくれたのははじめてのことだ。おそらく老婆はいままで誰にも話したことがなかったのだろう。その反動ゆえに知識は息を吹き返すがごとく口から溢れだしてきた。いや、こうは考えられないだろうか。このまま古老たちといっしょに地球上から消え去ろうとしていた「薬の知識」が、いまを逃しては甦る機会はないとばかりに、古老のなかから湧き上がり、そして僕に感染した。きっとこのおしゃべりな男ならば、この知識を拡散してくれるに違いないと。

地竜配合の風邪薬
ゴオウジリュウエキス配合の風邪薬

つい60年ほど前まで無医村で薬が手に入らない僻地では、こうした民間薬と富山の配置薬だけが頼りだったという。もちろん地竜は市販薬への配合が正式に認められているように、けっして荒唐無稽な知識ではなく、安全性とともに解熱作用を有している。それは個人の曖昧な記憶の集積でしかないけれど、僕がインタビューした人たちはみな口をそろえて「熱が下がった」と証言している。僕もコロナに感染し39.5度まで熱が上がったときに、ここぞとばかりに地竜配合の風邪薬を服用したところ、劇的なまでに熱が下がりそのまま治癒へと向かった。

しかしあえて意地悪な見方をすると、動物性タンパク質が不足していた時代、ミミズに限らず動物性のアミノ酸を摂取することによって身体の活力が向上し、副次的に熱が下がったことは考えられる。つまり飽食の現代においてミミズの薬用効果は昔ほどには劇的に発現しないかもしれない。ミミズからはルフォブリン酸という成分が発見されているが、仮にこの分子に解熱効果の再現性が高ければ、柳の皮からサリチル酸が発見され、後にアスピリンの大量合成につながったように(第247話)、すでに大手企業によって製薬されていてしかるべきである。僕の場合は地竜への積極的な信頼があったからこそ劇的に効いたのではと、やはりあえて意地悪に捉えるようにしているし、エビデンスを重視する現代医学に受け入れられるにはそうした姿勢が必要だと考えている(注2)

畑を耕すのは今でも牛ヤク(毛長牛)で畑を耕す(ラダックにて)

 ちなみにチベット語でミミズはダクペー(泥の)・(虫)という。映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(1997年)にはミミズがいたために工事が中断する場面が描かれている。これはあながち大袈裟な脚色ではなく、ダラムサラ(北インド。チベット亡命政権がある)では道路上のミミズを脇にどけるために車が渋滞していたことはたまにあった。チベットでは仏教の教えにもとづき、ミミズなど小さな虫の命すらも大切にすることで不善行を避ける(第260話)。したがってもちろんというべきかチベット医学において薬用に用いることは決してない。

 話を山奥の公民館に戻したい。ミミズの話に感化されたのだろう、そういえばと別の古老が「小さい頃、祖母が生きたマムシを捕まえたら、その場で頭から皮を一気に剥いで、内臓の胆を取り出して飲み込んだのを、いま思いだしました。普段はおとなしい人だったから、とっても驚いたわ」と興奮気味に語りだした。いままで封印されていた生々しいまでの薬の営みの記憶が連鎖反応のように次々と湧き出してくる。

「小さな虫にも愛情を抱きなさい」という絵解き図 「小さな虫にも愛情を抱きなさい」という絵解き図

 ハーブやアロマや薬膳など美しく語られる世界は、薬が豊富になり生存が保障されるようになった1960年以降に人気を博してきたものである(第235話)。したがってそこに古老たちの出る幕はなかった。また、アスピリン、イブプロフェン、アセトアミノフェン、エテンザミドなど多種多様な解熱剤が安価で得られる現代において、地竜の必要性は低いかもしれない。しかし、いまの豊かな生活を実現するに至るまでの、こうした先人たちの「耳をそむけたくなるほどに生々しいまでの」薬の営みの記憶が失われたならば、そのとき一見、豊かに見える現代社会は足元から崩れ去っていくのではないだろうか。僕はそんな目に見えないバランスに畏怖の念を抱いている。

注1
原材料をそのまま表記すると先入観が植えこまれ薬用効果が減じることがあるために、あえて高尚な別名をつけることがある。たとえばマムシは反鼻、マムシの黒焼きは五八霜、モグラの黒焼きは土龍霜、竈の土は伏龍肝(第188話)など。

注2
コロナウイルスに感染すると血栓が生じやすくなることが報告されている。地竜には血栓予防効果もあることから効果的かもしれない。

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