第320話 セク・チェ・ダル ~焼・切・磨~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

最近のデリー空港

最近のデリー空港

はじめてデリー空港に降り立った1999年1月9日の深夜。乗り込んだタクシーにそのまま連れ回され、到着したのは予約していたホテルとは全く別のホテル。さらに「いま、デリーでは大きな国際会議が開催されていて、多くのホテルで急なキャンセルが相次いでいる。連絡を受けていないのか?」とインド人にいわれて「そういえば……」と信じてしまった。さらにさらに「ダラムサラは大雪で道が通行止めになっている。代わりにカシミール地方へ旅したほうがいい」と勧められて、こちらも信じてしまいお金を支払った。このころ日本人相手に流行していた騙しの典型的な手口である。幸い、最後の最後で騙されていることに気がつき、見張り番がウンコをしている千載一遇の機会を逃さずに逃走したのだが、その顛末は『僕は日本でたったひとりのチベット医になった』の冒頭で紹介している。このとき、自分を騙したインド人に対してよりも、自分のお人好し加減にうんざりしてしまった。

ダラムサラ

ダラムサラ

このころデリーの悪徳旅行会社にとって一番のお得意様は圧倒的に日本人で、つまり、いちばん騙しやすい民族として完全に舐められていた(注1)。その反動で「騙されてたまるか」といつも喧嘩腰で旅をしている日本人バックパッカーをたくさん見かけたもので、これはこれで、インド人からの評判はすこぶる悪かった。肩に力が入っているか否かの違いだけで結局は同じ「信じやすい」日本人だといえる。ちなみに、いちばん騙しにくいのはイスラエル人だそうだ。長い歴史のなかで異民族との軋轢を経験してきたからであろうか。なんでもユダヤ社会にはこんな教育法があるという。子供に階段を飛び降ろさせ、順番に高い所から飛ばせて受けていって、一番上から飛び降りたときに、親父さんがパッといなくなる。で、ドーンと落ちたら、人間っていうのは父親でも裏切ることがあることを、身をもって教え込むというのだが、日本ではまず考えられない。

インドのリキシャ―

インドのリキシャ―

疑うことが苦手な日本人はたしかに、海外旅行の際には騙されやすいかもしれない。国際的に見れば「お人好し」は欠点といえるかもしれない。しかし、先日、興味深い論考を見つけた。日本人は平均をみれば睡眠時間が短く、デスクワークが長くて運動不足、野菜や果物の摂取量は少ない、年配者の喫煙飲酒率は高いにもかかわらず世界一、二位の長寿を実現している最大の要因は「相手への信頼」の度合いではないかというのだ。この研究はハーバード大学のイチロー・カワチ先生によるもので、信頼している人の割合の低いトルコやメキシコなどでは平均寿命が短く、信頼している人の割合の高いカナダ、オーストラリア、そしてトップに君臨した日本などでは平均寿命が高いという相関関係が見られるという(注2)。こう考えると、「信じやすい国民性」は長所へと転ずる。

仮にチベット人が調査されれば日本人ほどではなくとも、比較的近い結果が出るのではないだろうか。とはいえ、日本人ほどにお人好しなわけではなく、ダライ・ラマ法王が頻繁に引用される仏教の一節「金を焼いて(セク)、切って(チェ)、磨いて(ダル)、真偽を確かめなさい。私の言葉を尊敬の念だけで信じてはいけません」に代表されるように、盲目的な信頼は戒められている。この「セク・チェ・ダル」の一節を何度も暗誦したおかげか、お人好しな僕も少しはチベット文化の影響を受けたようだ。日本の講演会では冒頭で「僕は偽のチベット医・アムチかもしれません。まずは疑ってください。」と挑戦的に語ることがあるのは、疑うことにも重きを置くチベット仏教の精神に基づいている。

バラナシのガンジス川

バラナシのガンジス川

日本人は信じやすい国民性である、という説は薬草に関しても納得させられる。雑誌や新聞の「○○に効く」という広告を簡単に信じてしまうことで大きなブームが起きやすいからだ。過去を遡れば、昭和30年代にはコンフリーが、40年代に紅茶キノコが癌に効くとして大ブームになっている。そのブームの度があまりにも過ぎていたのであろう、結果として昭和46年に薬草に関する法律「無承認無許可医薬品の指導取締りについて」、通称「四六通知」が発布され今に続いている(第235話)。日本だけに適用される窮屈な法律を常々問題視していたけれど、「信じやすい国民性」に由来していることを考えれば、他ならぬ日本人には必要な法律なのかもしれない。そして、一方ではそのおかげで長寿を得ていることを考慮すれば、長寿と法律は表裏一体、まあ仕方がないか。インドの旅行会社に簡単に騙された僕も、きっと長生きするに違いない。 

ブッダガヤ

インドと言えばブッダガヤ

注1
バックパッカーブームだった2000年前後がいちばん危険な時代だった。旅行会社と結託した悪徳タクシーがあまりにも横行していたため、2001年にはインド政府が介入し、空港を出るタクシーをすべてチェックするようになった。もちろん悪徳なのは一部であって、デリーには良心的な旅行会社がたくさんあったことをインドの名誉のために補足しておきたい。

注2
ただし、日本人は固定化された環境での信頼関係は強いが、異民族が入り交じる流動的な環境における信頼関係の構築には一転して極めて不慣れであるという、別の研究者の報告もあり、こちらも納得させられる。

参考文献
『僕は日本でたったひとりのチベット医になった』(径書房 2011)
命の格差は止められるか』(イチロー・カワチ 小学館新書 2013)
これからの教養 激変する世界を生き抜くための知の11講』(菅付雅信 ディスカバー・トゥエンティワン 2018) 
生きたことば、動くこころ』(河合隼雄 2010)

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