研修添乗員報告記●青蔵鉄道で行く遥かなる聖都・ラサ7日間(2007年3月)

2007年3月10日〜3月16日  文●林 真弓(東京本社)

青蔵鉄道の番組がNHKで紹介された日以来、風の旅行社にも問い合わせが殺到し、現在チベットツアーの中で一番人気のコースとなっているこのツアーですが、昨年開通したばかりなので、まだ風の旅行社でも乗ったことがあるスタッフはわずか。その青蔵鉄道の魅力をこの目で確かめるため、この度新人林が研修添乗員として潜入して参りました!

[1日目]3/10(土)

諸事情で別便で一足先に北京空港へ到着。大阪からのお客様と合流し、東京からのお客様を待つこと1時間強、多少の遅れはあったものの、無事合流。まだ乗り継ぎに時間があるため、北京市内観光へ行くことに。車で走ること1時間、紫禁城へ到着。その日は風も強く、予想以上に寒い! チベットより寒いのではないか?というほどの寒さに震えながらの観光となりました。1時間ほどで観光を済ませ、天安門広場を車の中から眺めつつ、再び空港へ向かいます。

到着後、空港で両替を済ませ、国内線で西寧へ。北京から西寧までの飛行時間は約2時間半。予定通りに西寧に到着し、青海省のガイドさんと一緒にホテルへ向かいます。 移動の多い1日だったため、皆さんお疲れの様子。

[2日目]3/11(日)

午前中にチベット仏教のタール寺を観光後、近くのホテルのレストランで中華料理の昼食を取ります。その後、オフロードの道を1,5時間ほど揺られながら西寧郊外にある14世ダライラマの生家を目指します。生家ではダライラマの親戚 にあたるおじさんが中国語で説明し、その説明をガイドさんが訳してくれます。「72年前にここで、あのダライラマが産声を上げられたのか・・・」そんなことを考えながら神妙な顔で聞き入るのでした。

タール寺

タール寺

ダライラマの生家周辺

ダライラマ生家の

敷地内の建物

ダライラマの親戚の

おじさん


その後は再び来た道を走って街へ戻ります。まだ夕食までに時間があるため、急遽希望者のみで足ツボマッサージへ!足ツボというと、ものすごく痛いイメージですが、ここのお店は思ったよりも全然痛くありません。誰も悲鳴を上げることなく、気持ち良さにうとうとしながらゆったりと時間が流れていきました。

マッサージの後は近くの売店にて水やお菓子などの買い物を済ませ、夕食を取り、いざ西寧駅に向かいます。

駅構内で待つこと数十分。ほぼ時間通りに列車がやってきました。

そしてついに、青蔵鉄道の寝台車へ乗り込みます。車内は暖房も効いており、ベッドのシーツや毛布も清潔でとても快適です。今夜はぐっすり眠れそう・・・。


西寧駅(イメージ)

硬臥(イメージ)


[3日目]3/12(月)

白銀の世界

白銀の世界

朝、目が覚めるともう窓の外は白銀の世界!!青い空以外はすべて真っ白です。

雪山のすぐ真横を列車が通り抜け、果てしなく大きい湖はすべて凍っています。誰もが、普通 に暮らしている中では決して見ることのない雄大な光景に息を呑み、食い入るように窓の外を眺めています。まるで、大画面 で映画を見ているよう。そんなことを考えている間にも列車はぐんぐん高度を上げて進んで行き、景色は目まぐるしく変わっていきます。

すでに標高も4000mを越し、窓の外はマイナス10度の世界だけれど、列車の中は常に暖かく、平地の80%以上の酸素濃度が保たれているため息苦しさはまったく感じません。


車窓風景

凍っている河


寝台車の通路にて

寝台車の通路にて

食堂車ではできたて熱々の料理が味わえ、車内は常に清掃が行き届いており、備え付けの給湯器からは24時間お湯が手に入ります。寝台車には電気コンセントまで付いているので、デジタルカメラの充電なども可能。希望者には酸素のチューブが配られ、万が一体調が悪くなった場合は車内に常駐しているドクターから無料で診察を受けることができます。

氷や雪の世界を通り抜けたと思ったらしばらくして景色ががらりとかわり、ココシリ自然保護区に入っていきます。遠くのほうにヤクや羊の姿が現れる度に「あっ!」と色んな所から声が上がります。

洗面台(イメージ)

酸素供給口

水洗トイレ


途中下車

途中下車

世界一高所である「タングラ峠駅」も越え、いよいよチベット自治区に入ります。

そろそろラサに近くなってきた夕暮れ時、遠くのアスファルトの道路に沿って五体投地をしている方々を何回か見かける機会がありました。一体どこから、そしてどのくらいの時間をかけてここまで進んで来たのでしょうか。彼らが一日でも早く無事にラサに到着することを祈るばかりです。

22時半頃、列車がラサ駅にゆっくり入っていきます。想像以上に大きくて立派な駅に圧倒されつつ、ガイドの待つ出口へ向かいます。無事にガイドとも会うことができ、バスの乗り込みライトアップされたポタラ宮を遠くから眺めながらホテルへ向かいます。

余談・その1

商売をするために ラサへ向かう回族

商売をするために

ラサへ向かう回族

寝台車から食堂車へ行く間に、座席クラスの車両をいくつか通 り抜けて食堂車へ向かいます。座席の車両の中は漢族、回族、チベット族であふれかえっています。食堂車へ向かう間で一人の可愛い赤ちゃんに出会いました。早速お母さんに話しかけてみます。

私:「この子、歳はいくつ?」

母:「7ヶ月よ。」

私:「名前はなんていうの?」

母:「まだこの子には名前がないの。」

私:「え!?7ヶ月なのにまだ名前がないの!?」

チベット人は、名前は両親からもらうものではなくお坊さんから頂くものだそうです。後になって、この子はお坊さんに名前を付けてもらうために、ラサに向かっていたのだとわかりました。

きっと今頃はもう名前が付いているはず。一体どんな素敵な名前を授かったのでしょうか。

[4日目]3/13(火)

ポタラ宮へ登る

ポタラ宮へ登る

朝一でポタラ宮観光へ。入り口からの登りの階段がきつく、思った以上に息が切れ、改めて高地にいるのだと実感します。冬は夏と違って時間制限が無いためいくらでも長く観光することができ、この日もゆっくり2時間半くらいかけてポタラ宮を満喫しました。

昼食でチベット料理を堪能したあと、ホテルから歩いてすぐのところにある、チベット仏教総本山である大昭寺(ジョカン)を観光し、バルコルを巡礼者と共に廻ります。


ポタラ宮

ジョカン前広場

セラ寺の問答


余談・その2

ポタラ宮のトイレ入口

ポタラ宮のトイレ入口

実はポタラ宮の中に入る直前に、隠れマル秘観光スポットが存在します。

それはなんと、、、トイレ!いえ、中国おなじみのただのニーハオトイレではありません!「あそこのトイレはすごいらしい」との情報をすでに耳にしていた私たち女性陣は、ポタラ宮のトイレを目の前に意を決してカメラとトイレットペーパーを両手に抱え、いざ出陣・・・。

そして我らトイレ探検隊の見たものは・・・!!!!

———(中略)———

諸事情によりここにはあまり詳しく書けませんが、行ったことある人同士では、トイレ話に花が咲くこと請け合いです!是非、いや絶対に用がなくとも行ってみて下さいね(笑)。

[5日目] 3/14(水)

午前中、サンゲ・ドゥンクを参拝したあと、ポタラ宮へ向かい、巡礼路を地元の人々とともに歩きます。巡礼の後は巡礼者が集まる茶館へ寄り、甘いミルクティーをいただきホッと一息。チベットのミルクティー(甜茶)はミルクが濃いためかとても美味しい。つい何杯も飲んでしまってお腹いっぱいになってしまった、というお客さんもいらっしゃいました。その後、郊外にある民家へ向かいます。客間に通され、バター茶やツァンパ、ヤクや羊の干し肉、餃子の皮を揚げて砂糖をまぶしたようなお菓子、ヤクのミルクから作った固いチーズなどが振舞われます。昼食では手作りのテントゥク(チベットのうどん)が登場。それが、なんとなく昔懐かしいすいとんを思い起こさせるような味がして本当に美味しく、まさに「チベットの母の味」。おかわりをいかが?と薦めてくれるお母さんの笑顔に負けて、お腹いっぱいにも関わらず「それではお言葉に甘えて・・・」とおかわりをお願いしてしまうのでした。(高所では消化が悪くなりますので食べすぎにはご注意下さい。)

太陽光湯沸かし器

民族衣装を着ました(民家の仏間)


[6〜7日目] 3/15(木)、16(金)

あっという間に時間が過ぎ、とうとうラサでの最終日。この日は出発まで自由行動です。

なんとまだ暗い内にホテルを出て、早朝のバルコルでの巡礼を楽しまれた方もいらっしゃったようです。皆さん、値段交渉も慣れてきたようで出発時間まで最後の買い物を楽しんでいました。

まだまだ名残惜しいご様子だけれども、昼食後は国内線に乗るためにラサ空港へ。 この日は成都を経由して北京に戻り、この日は北京市内のホテルで1泊。翌日、北京から、それぞれ関空、成田へと帰国の途に着きました。皆さん、お疲れ様でした。

感想

以前に中国を訪れた際に何度か列車に乗る機会がありましたが、今回の青蔵鉄道は今まで私が抱いていた中国の長距離列車のイメージを覆されるような体験になりました。中国の列車と言えば、乗客のマナーも悪くタンは床に吐き捨て、ゴミは大小問わずそのまま床に捨てるか窓を開けて外に投げ捨て、列車内の服務員はたいてい無愛想で、掃除なんて1日に1,2回くらい・・・などと言った、かつての「中国ならでは」の列車内の光景は今回青蔵鉄道の中では見られませんでした。

訪れる度に今まで出会ったことのない価値観にびっくりさせられる。そんな国もすでに2008年の北京オリンピックに向けて着実に進化していってるのだなあ、としんみり実感した旅でもありました 。