【なにわ日記】境界線ー中央構造線

酷道368号(対向できなさそうな難所を越えて一息ついたところ)

とある本に触発されて、三重県の多気町という町に行ってきました。我が家のある奈良県からはちょっとした山を越えて行きます。カーナビを頼りに好天の中向かいました。

「邪馬台国は『朱の王国』だった(蒲池明弘著)」

これが辰砂原石(郷土資料館にて)


朱とは辰砂とも呼ばれ、現在でいう硫化水銀。火山活動の中で熱水に溶けた金属が凝縮して形成されるそうで、日本では約1,500万年前の活発な火山活動期にその鉱床が各地に形成されたといわれています。現在、朱の産地の多くに丹生(にう)という地名が残されています。
その朱は、古代、「赤色の塗料、不老不死の仙薬の原料、防腐剤、防虫剤として珍重された」とし、邪馬台国時代には日本には豊富な朱の鉱床があり、その特産品を獲得した者が富を得、力を伸ばしていったのが邪馬台国ではないか、という説があり、それを古事記、日本書紀、魏志倭人伝などを読み解きながら解明しようとしています。

「邪馬台国=朱の王国」説に惹かれたのもあるのですが、その本の中に「中央構造線」という言葉が出てきました。中央構造線とは、(まだしっかりとは理解できていないのですが)九州、四国、紀伊半島、静岡、長野、そして茨城あたりまでを横切る巨大断層。フォッサマグナがほぼ南北に日本をぶった切る線とすると、それと交差するようにほぼ東西に延びる地質の境界線です。その境界線の露頭(地表に現れた場所)がある、ということが白黒の写真入りで書かれていたのでした。

恥ずかしながら中央構造線という言葉を初めて聞いたのはそれほど昔ではありません。おそらくブラタモリが初出かと。(遅すぎ?)『フォッサマグナ』という言葉には「大地溝帯」という日本語訳もあいまって、何かすごい魅力・迫力・興味を感じていたこともあり、それを横切るこれまた巨大な境界線があるというので、前々から一度見てみたいという衝動が沸いていました。そこにこの本に触れたものですからいてもたっておられず、本を読んだ週末に一人車を走らせたのでした。

頼りになるのは。本書内の白黒写真。著者は町役場で露頭の話を聞いて訪れてますが、その日は土曜日。役所は無理だ。郷土資料館があったので、情報収集に行ってみましたが、場所まではわからず。それはまたの機会に、とあきらめて、多気町にもあると書かれてた「朱」ゆかりの丹生神社を訪れました。

高野山を開く前、空海はここで丹生津姫にお会いになり、ここから高野山に導かれたとありました


ここは元水銀坑にもほど近く、延喜式にも名を連ねる由緒ある神社であり、さらに隣接する神宮寺は弘法大師ゆかりの真言宗。山師との説も色濃い空海さんご指名のお寺とあれば鉱山の存在は納得です。ちょうど紅葉も見られ、参道にある男神、女神の石にも興味が湧きました。

丹生神社の男神(左)、女神(右)


丹生神社に隣接する神宮寺にあった大師様と紅葉

さて帰ろうかと車を走らせていると車窓に、既視感のある風景が飛び込んできました。ありました、本に掲載されていたあの露頭です。あわてて車を停めまじまじと眺めて一人悦に入って帰宅しました。

左下側の白っぽいのが花崗岩質の領家帯、右上側の黒っぽいのが泥質片岩の三波帯だそうです

カーナビが教えてくれた奈良から三重への山越え368号線は酷道と称される道で、舗装はされてるものの、もちろん単線で昔の街道を思わせるクネクネの山道でした。調べてみると、この道は伊勢から大和に水銀を運んだ道ともいわれ、後の伊勢本街道(奈良県桜井市と伊勢を結ぶ)の一部だったようです。桜井といえば、卑弥呼の墓と説のある箸墓古墳やヤマト政権黎明期の本拠地。邪馬台国の都?に水銀を運ぶ道。ありえます!

今回は酷道の県境を越えて、地質の境界線を見てきました。1本の線を境に異世界が存在する境界線というものに、どこか惹かれるものがあるのでしょうか。そういえば国境越えの旅が好きなのも共通するなにかがあるのかもしれません。

少しでも共感いただければ嬉しいです。そして、そんな方には、国境越えを楽しむ旅ーシルクロード大走破ツアーがございます。
よかったらオンライン説明会にお越しください。

また、地質学のことがちょっと気になった方はこちらをどうぞ。
ー田中宙さんと行くジオウォーキングー

今年も一年ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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