原のコロナ休業日記 Vol.33 「はと錦」のお菓子3

 兄が21歳、私が高校2年生の時の秋、「はと錦」はオープンしました。実は、日付も季節もよくは覚えていませんが、ケーキが売れない夏にオープンするはずはないし、冬では開店早々クリスマで混乱してしまいますから秋しかないと思います。

 新しい店には、ケーキと餅・饅頭の両方のショーケースが備え付けられ、工場は1つでしたが、兄の仕事場と祖父母・親夫婦の仕事場の2つに分かれていました。まるで張り合うかのようでした。工場と店の間には、大きな透明のガラスがはめられ、いつもケーキのショーケースを工場から見られるようになっていました。何がどう売れているのか一目瞭然。兄は、売れ行きを見ながら何を作るか決めて補充していました。もちろん、お客様からも、ケーキを作る様子がよく見えました。田舎では、あまり見たことのない店構えで鼻高々といったところでしょうか。

 店は順調にスタートしましたが、生活は一変しました。夕方になると1日の売れ具合を見て、明日売るケーキを焼き始めます。いったん窯を温めると途中で中断することは不可。予定の品目すべてを焼き終わるまで夕食はお預けとなります。夜の9時を過ぎるのは当たり前で、日を追うごとに10時、11時となり12時を過ぎることも結構ありました。食事は、各々手が空いた空きに食べればいいと思うのですが、何故か、我が家は、全員そろって食べるのが習わしで、高校生の私も夕方には何か食べながらも、夕食は一緒にしていました。夜中に、家族全員で食事するのは非常に奇妙なものでした。

 当然ですが、人間、疲れてくるともめごとも多くなってきます。その疲れがたまったピークのころにクリスマスがやってきました。

 ※今日から、緊急事態宣言が解除され、あのバス停近くのパチンコ店が今日からオープン。行列ができていました。

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