若手研究者たちのチベット [LHASA・TIBET]

一月は行く二月は逃げる三月は去る!
はやもう二月半ば、である。
師走から始まるこの日本的時間感覚は一体なんなのだろう。

ところで、チベット語で祭のことを「ドゥチェン」という。
直訳すると「大きな時間」。
祭という刺激的な出来事においては、時間は大きく感じられる。
祭が時間を引き伸ばし、巨大化していくのである。
そして、その祭の大きな時間は、あっという間に過ぎていく。
それでその密度は測り知れぬものとなる。
時間が歪められていく―。
そう、祭は恋愛の従事者たちが体験するようなドリーム・タイムに近づいていくのだ。

僕にとって来月は、確実にそういう「ドゥチェン」となるだろう。
風のカルチャー講座で、四人の若手チベット学研究者をお招きし、
多様な角度からチベット文化を語って頂く講演シリーズがあるのだ。
名づけて、「若手研究者たちの観るチベット」。

まず第一回目(3/9)は、シャーマニズムについて研究している宮坂清氏を招き、
「ラダックのシャーマンと民俗信仰」について語っていただく(→詳細はこちら)。
文化人類学が専門の宮坂さんはインド北部のラダックに長期間滞在し、
シャーマンと民俗信仰についてフィールドワークを行ってきた。


(治療をするシャーマン;宮坂氏提供)

シャーマンという「異界」と繋がった人間とコミュニケーションをとるのは容易ではなかろう。
それも文化的な土壌を共有しない、今も生きている信仰世界を相手にするなら、
こちら側のそれ相応の能力と、感覚的繊細さをも必然的に要求される。
ところで、研究というのは実は、研究者が研究対象を選ぶ、というよりも、
その研究対象が研究者に憑依する(=研究者を選ぶ)みたいなことがあるように思う。
思うにシャーマンの研究などは、その最たるもののような気がする。
シャーマンに宿る土着神が、研究者の適正を審判するのである。
おそらく宮坂氏は合格した、受け入れられた、のだと思う。
(ウラヤマしいのかどうかは分からないが;笑)

そのへんも込みで、ラダックのシャーマンと民俗の実態について、ご自身の体験について、
人類学者はシャーマンとどのように関わりどう観ていくのかについて、
宮坂さんにたっぷり語って頂きたいと思っている。
僕はとても楽しみにしている。
ラダックの民間信仰に関心のある方だけでなく、チベットの伝統医療、
アジアのシャーマニズム一般に関心のある方などは、必見・必聴の講座といえるだろう。

第二回目(3/23)は、近代日本人とチベットの関係について研究されている高本康子氏をお招きし、
約一世紀前に日本中に巻き起こったチベットブームについて語っていただく(→詳細はこちら)。

高本さんの探求のテーマ(のひとつ)は、日本人はどのようなチベット観を抱いてきたか、である。
博士論文もそのテーマで書かれている。
一世紀前にラサに住んでいた多田等観や青木文教などについても研究され(著書も多い!)、
はじまりの「日チべ関係」についての第一人者のおひとりである。


(チベット人だけでなく、外国人も憧れてきたポタラ宮殿)

ちょっと話は飛ぶが、高本さんとは一昨年ラサで初めてお会いした。
青木文教が昔滞在されていた貴族の屋敷を一緒に訪れたのだ。
高本さんは感無量だったようで、印象深い言葉をひとつふたつ僕に垂れてくれた。
その時僕は「ああ、こういう方だがから、昔の偉人にそっと優しく寄り添って、
伝記など書けることができるのかもしれないな・・」、
などと密かに感動したのだった。

3/23の講座では、「チベット」に憧れた一世紀前の日本人たち、そして
日本での大チベットブームに触れながら、
今の我々にもつながってくる、チベットと日本人との関わりについて、
話していただけたらと思う。

そして「若手チベット研究者たちの観るチベット」の第三弾(3/24)!
大川謙作氏を招き、現代チベット文学の父と称されるトンドゥプジャの人生と
彼の作品について語っていただく。(→詳細はこちら)

チベットは「書きもの文化」が異様に発達した文化だとよく言われるが(実際そうであるが)、
それは大ざっぱにいうと、仏教学や歴史学の言説のなかで出てきた見解であろう。

現代の生身のチベット人が何をどう思っているのか、について、
我々は今更ながら「案外知らない」のである。
これだけチベットの政治状況、チベット仏教という伝統に対してメディアが注目しているが
(そしてそれはとっても大切な内容だが)、ちょっと偏っていたり単線的だったりする。
チベットへメディアがアクセスのできないこともあろうが、
それこそ我々の根強い「チベット観」が、見えなくさせている側面もある。


(夭折したトンドゥプジャ;大川氏提供)

大川さんに今回話していただくトピックは、
現代に生きるチベット人たちの葛藤や思いを文学のなかで表現しようとしたチベット人知識人の話である。
これまで我々のあまり見聞きしてこなかった、
チベット人の抱える世界観や民族アイデンティティの話になるであろう。
今からとっても期待している。

実をいうと、僕もこのチベット人作家トンドゥプジャについてはあまりよく知らない(苦笑)。
なので、今回は、真っ白な一生徒になった気分で講義を聞きたいと思っている。

この講座は、現代チベットの状況に関心のあるすべての方にもおススメである。
まぁ、あまり難しく考えなくとも、単純に
「チベット現代文学」ってどんななの?
仏教と文学の関係って?
大川さんの名前はよく聞くけど、一体どういう方なのだろう?(笑)
という素朴な好奇心からの参加ももちろん大歓迎!!
彼の語りは明快かつソフトなので、きっと楽しい時間になるでしょう。

そして、最後は大阪開講の「古代チベット人は何を占ったか?」(3/30)である(→詳細はこちら)。
この魅惑的なトピックを話していただくのは、チベット古代史の研究者である西田愛氏。

西田さんは敦煌文献などを頼りに、一千年以上も前のチベット人たちが、
サイコロなどを使って何を占っていたかを長年探求されてきた。
なんともマニアックな話題(!)と思われるかもしれないが(実際そうなのだが;笑)、
僧俗問わず、老若男女問わず、チベット人は占い大好き、占いとは切っても切れない関係なのであり、
このサイコロ占いを観ていくことによって、チベット人の宗教観や古代の政権のありよう、
生活観や倫理なども炙(あぶ)り出されるものなのである。


(サイコロ占い;西田氏提供。講座では希望者のみなさんにサイコロ占いをする予定!)

ここで大事な点を付言すると、
サイコロとは人類始まって以来、「神のお告げをきく」装置として存在してきたのである。
サイコロの単純な立方体は、その人工的かつアルカイックな形態そのままで
文化を越え時代を越えて、信奉者の尋常ならぬ思いを受け取りつつ、「神の言葉」を贈与してきた。
サイコロは神様と人間との間を媒介してきた、不思議な「携帯テクノロジー」であったのだ。

話は飛ぶが、
僕はそういうサイコロの神秘さに惹かれたこともあり、
ラサのサイコロ賭博について研究する縁に恵まれた。
(論文は3年前書いたのだが、まだ怠慢な編者が出版してくれていない!苦笑)

そしてそのサイコロの縁がふたたび転がり、同じくサイコロを研究している西田さんに
お会いすることができたのだ。

実は西田さんと僕はお互い近所に住んでいる。
それで数回ほど地元の飲み屋さんで会っていろいろ話し込んだことがある。
サイコロの話からチベット関係者のゴシップの話(笑)やら、なんでも。
そしてその中で、なぜ大阪ではチベット関連の文化イベントが少ないのか?
みたいな話題になった。

こちらが無知なだけなのかもしれないし、「ハミゴ」にされているだけなのかもしれない(笑)。
が、僕の例でいえば、
講演やら新聞記事を依頼されたりするのは、必ず神戸か京都方面からなのである。
大阪ではこれまで一度も呼ばれたことはない。本当にないのだ!
う~ん、納得いかんなぁ、と思いつつ、
これは「自分たちから動かんかい!」という大阪の土地神の暗号なのかもしれないと、
二人で話しているうちに思い立った。(なんとも単純な解釈だが;笑)

ということで、
今回の風カル大阪講座で西田さんに「チベットのサイコロ占い」について
語って頂くのは、これから来たるべき「大阪・チベット文化ルネサンス」のこけら落とし的な
位置づけにしたい。(少なくとも気持ちだけは;笑)
政治ばかりでもなく、仏教ばっかりでもない、多様・多元なチベットの世界に
触れる文化イベントの一般向けプラットフォームみたいなのができたらと常々思っている。

* * *

ちょっと長々と書きすぎたので(苦笑)、まとめます。
来月はドゥチェン(お祭)です。
風カルのチベット講座シリーズで、
若手研究者たちにみなさんそれぞれのチベット世界について語って頂きます。
彼(女)らは普段は大学や研究所のなかで、
それぞれの研究分野について語る機会はたくさんあるでしょう。
しかし一般の不特定の人々に向かって話す機会というのは、
優秀ながらまだ若手だということもあり、非常に限られていると思うのです。
これはチベットに関心のあるすべての人々にとって、とてももったいないことだと思います。

来月の講座シリーズでは、彼(女)らの観ているチベット世界の断片に触れる貴重な時間にしましょう。
その時間は、必ずや大きくなると思います。
ドリーム・タイムのように。
そして願わくば、この祭は次に繋がる祭にしたいです。

みなさんのご参加を心からお待ちしています。

Daisuke Murakami


(もうこの二匹たちも、立派に思春期を迎えたことでしょう。
ラサの僕の部屋に残されたものの、今はホテルのスタッフたちに面倒みてもらっています。)

シェアする