第70回●ドゥクユル ~ブータン伝統医学院~

小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

tibet_ogawa070_1ブータン伝統医学院で行われた講演会にて

小学生4年生のとき社会科の授業中、世界地図を指差しながら「おい、みんな見ろよ。ブータンて変な名前の国があるぞ」と大声でクラスの笑いを誘ったのを覚えている。

それから20年後の2002年、メンツィカンに入学して間もないころ、突然、柔和な顔をしたおじさんが話しかけてきた。
「クズザンポー(こんにちは)。日本の方ですか。私はブータン伝統医学院から製薬の研修にきたサンポと申します。ブータン(チベット語でドゥクユル)の橋や道路はほとんど日本の支援で作られました。本当に感謝です」
これが生まれて初めてブータン人と出会った瞬間であり、当然、第一印象は最高である。こんな国レベルでの感謝の言葉が咄嗟にでてくるとは、なんと謙虚な民族なのだろう。
それから機会を見つけてはサンポさんにブータンの伝統医療事情について話を伺った。どんな学生たちがいるのか、どんな授業が行われているのか、どんな医療が実践されているのかなど興味が尽きることがない。チベット医学は本土においては中国政府の下で、またインド・ネパールという異国の難民社会の中で、さらにはモンゴルなどチベット仏教圏において柔軟に変容しながら広がりを見せている。その一方、唯一、チベット文化・民族の独立国であるブータンにおいてチベット医学がどのように民衆に根付き発展しているのかに強い興味を魅かれた。そこでは純粋なチベット医学が実践されているのだろうか。メンツィカンには無い何かがあるのだろうかと。

そして2006年9月、首都ティンプーで開催される第1回伝統医療フォーラムに、ブータン厚生省から招待状が届き、喜び勇んで出席した。そして伝統建築で設計された医学院に到着すると、真っ先にサンポさんが出迎えてくれて4年ぶりの再会を果たした。
翌日には早速、医学院の先生方と一緒に標高3,000m近い山へ薬草観察に出かけることになった。ブータンは昔からメンジョン(薬草の国)と呼ばれるほど薬草が豊富で薬を作る際の自給率もほぼ100%だという。標高がチベットほど高くなく緯度が低いおかげで、さらに降雨量が多いことから多彩な植生が広がっている。特に車中からセルク(和名・サルオガゼ)という紐状のコケ植物がよく目に留まる。山を歩くとトリカブトやゲンチアナ、麻黄、パシャカなど貴重な薬草に次々と出会うことができ興奮を隠せない。

tibet_ogawa070_31サルオガゼ
tibet_ogawa070_4トリカブト
tibet_ogawa070_5ゲンチアナ


思わず『四部医典』の一節を呟くと、先生方の僕を見る目つきが変わり、薬草談議に一段と華が咲いた。なるほど、暗誦とは信頼を得るのに何とも便利なものだと初めて実感できた瞬間だった。こうして『四部医典』を共有することでチベット医学文化圏が国を超えて成立しているのである。

     原文 セルク・ロチン・ツァツェ・ドゥク・ツェ・セル
     訳   サルオガゼは、肺と肝臓と脈管の熱と毒の熱を癒す。
     原文  キチェ・カルポ・ヌツェ・ティツェ・セル
     訳   ゲンチアナは六腑の熱と、ティーパの熱を癒す。
                                      (『四部医典』論説部第20章)

そして、これらの豊富な薬草を、当たり前ではあるが、何の遠慮もなく薬として使用できることに羨望を感じずにはいられなかった。なにしろメンツィカンはいつもインド森林管理局の顔色を伺いながら採取しなくてはならず、時には事情を知らないインド警官が駆けつけて「薬草を置いて立ち去れ!」と脅されたこともある。さらには地元住民から「銃を撃つぞ」と威嚇され逃げ帰ったこともあるくらいである。難民大学としての悲哀を感じたことは一度や二度ではない。彼らのように思う存分、薬草を採取できたらどんなに気持ちがいいことだろうか。

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講演をする筆者

4日目、いよいよ伝統医学院の講堂において校長先生をはじめとした先生方、スタッフ、生徒を前にしてチベット語で講演である。多くのブータン知識人は英語が堪能なのはもちろん、チベット語を話せるか、もしくは話せなくても聴けば理解することができる。それだけでなくチベット語を“チューケ(仏法の言葉)”と呼び高貴な言葉として尊敬されるのは非常に気持ちがよかった。なによりもサンポさんがすぐ隣に笑顔で座ってくれていて心強い。
講演を要約すると「従来、チベット医学の特色であるとされる3体液論(第38話参)や5元素理論や脈診、尿診も確かに素晴らしいけれど、それ以上に実践的な薬草学こそ現代医学に見られない特色である。薬草教育という形で日本の医学部や医療関係者へのスタディツアーを開催すれば、それこそ真の東西医学の融合になりうるのではないか。独立国であり薬草の国であるブータンにはその魅力と可能性がたくさん詰まっている」という話である。

終わるとすぐさま質問が飛び交った。
「ねえねえ、メンツィカンではお小遣いをいくらもらえるの?え、300ルピー。私たちは1ヶ月700ルピーよ」「どんな試験問題が出るのですか」「卒業したらみんなどうするのですか」など話はつきることがない。彼らも見知らぬチベット医学の世界に興味が湧いてきたようだ。そして調子に乗って度々、『四部医典』の一節を暗誦する僕に対して戦慄も同時に感じていたようだ。「外国人学生でさえ、こんなに暗誦できている。ならばチベット人学生はどんなに凄いんだ」と。さらに畳み掛けるように、難民だからゆえの不自由な環境がもたらすハングリー精神が学生たちの原動力になっているとも強調した。こうして、ちょっと大げさにメンツィカンの優秀さを自慢することで、独立国という恵まれた環境でチベット医学を学ぶ彼らに刺激を与えるくらいの、ささやかな悪戯は許されるのではなかろうか。

自分を中心に半径2キロ以内だけが全世界だったあのころ、ブータンは戸出西部小学校4年1組の教室の地図の上だけに存在していた。でも、あの瞬間にも、幼い僕の指の下でブータンの人々は確かに生活を営み、多くの薬草が咲き乱れていた。そんな当たり前のことを知るために25年もの年月を要してしまった。ようやく僕の世界がブータンにまで広がったのだ。だから今こそ心から謝罪したい。小さいころ笑いものにしてしまい本当に“ゴン・マ・ツェレ(ごめんなさい)”。そして、ブータンとの素敵な出会いに“カディンチェ(ありがとう)”。

 
 注:カタカナ表記の挨拶はいずれもゾンカ語(ブータン語)

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