第138回●プク ~ベビーシッターならチベット人~

子供の脈診

チベット語の家庭教師ドルマちゃん(第85話)は、僕のギュースム達成(第24話)を見届けると、教師としての役目を終えたかのように、2007年12月、ダラムサラからニューヨークに移住した。インドに亡命したチベット難民は1991年の集団移民にはじまり、その後も様々な形でアメリカやカナダに移り住んでいる(第29話)。2012年はニューヨークだけで1万人を超え、アメリカ・カナダ全体では10万人を超えているという。




それから1年後、ニューヨークのドルマから国際電話がかかってきた。「チベット語の先生をしているのかい?」という僕の質問に「ベビーシッターよ。こっちではチベット人はベビーシッターとして声がかかりやすいの」と、それがあまり本意ではないかのように低いトーンで答える彼女。そういえば、学問に対する興味以外、子ども(チベット語でプク)が好きだったというイメージは彼女にはなかった。それは、裏を返せば、そんなドルマでさえ頼られるほどに、ベビーシッターとしてチベット人が高い評価を得ていることの証明であったともいえる。

アメリカに渡った多くのチベット人女性たちがベビーシッターとして働いていることは、ダラムサラにいるときから耳にしていた。つい先日、ニューヨーク在住のチベット人が東京を訪れた際、その点について質問すると「確かに、チベット人はベビーシッターで有名だな」と、ドルマ同様、その話題に興味はなさそうに答えてくれた。「どうしてだと思いますか」という僕の研究者的な質問に、やはり面倒くさそうに「子育てというのは思い通りにならないものだ。そこへいくとチベット人は、思い通りにいかないことに寛容だし慣れている。だからじゃないかな」と、彼らにとっては誇りと感じない分野だからゆえに、とても適当に答えてくれた。
しかし、僕はとても興味がある。なぜなら、チベット人の特筆すべき長所は「子ども好き」にあるのではと、メンツィカンにおける共同生活を通して実感していたからだ。それは日本とチベットの男性を比べると違いが顕著にわかる。女性は、古今東西、民族を問わず母性本能に溢れているので顕著な差は現れない。しかし、特に日本人の男性は子どもへの接し方が不器用ではないだろうか。僕はダラムサラを訪れる各国の男性を観察していてそう感じたし、なによりも僕自身、小さな子どもと遊ぶのが苦手だった。一方、チベット人の同級生たちは20代前半にも関わらず子どもたちが大好きというか、本能的に同じ目線で遊びはじめる。接し方がとっても自然で、いつも感心させられていた。そうした僕の日常レベルでの感覚が大都市ニューヨークにおける社会現象と一致したことで僕は嬉しくなってきたのだ。

小さい子供と遊ぶ小さい子供と遊ぶ

チベットというと、いつも仏教の崇高な面や政治的な側面ばかりが取り上げられる傾向がある。チベット医学に関しても神秘的、奇跡的な一面が外国に向けて紹介される傾向にある。だから、僕が世俗レベルでの素晴らしさを評価しても、日本人はもちろん、チベット人自身だってまったくピンときてくれなかった(第105話)。自分の長所には自分でなかなか気が付きにくいもの。でも考えてみてほしい。幼児を育てることは人類生存・存続のための最重要課題である。そして、国を失うという過酷な状況のなかでも、しっかりとチベット文化を保持し続けているという事実は「幼児教育」に優れた民族であることの証明の1つとはならないだろうか。なによりも、多民族が入り乱れるニューヨークにおいて、難民という弱い立場であるにも関わらず「チベット人は有能なベビーシッター」という信用をゼロから獲得した事実は賞賛に値する。もうひとつ、こんな典型的な日本人男性だった僕がチベット社会で暮らすことで、子ども好きに変化したという事実は、単に歳を重ねたという要因を差し引いても「チベット人、ベビーシッター有能説」のための裏付けになるのではと思っているが、少々、説得力に欠けるだろうか。

日本の都心部では待機児童が大きな社会問題になっている。そこでインドネシアから介護士を受け入れているように、チベット人を保育士として日本に招聘する計画を立ててみてはいかがだろうか。世界でもっとも優れたベビーシッターの彼女(彼)たちは、日本に新しい風を吹かせてくれるに違いない。

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