第140回●マクミ ~イシェー・ドンデン先生~

毎朝夕の読経風景

メンツィカンの1日は朝7時、全校生徒が講堂に集まって薬師如来に帰依し、お経を唱えることからはじまる。しかし、僕が入学した当初、講堂に肝心の仏像はなく、今、振り返ってみると何とも殺風景だったものだ。そんな2003年の春、ダライラマ法王元侍医イェシェー・ドンデン先生の御寄附により立派な薬師如来像が正面に安置され、それからは荘厳な雰囲気のなかで読経に一層、熱が入るようになった。

イシェー・ドンデン先生

先生は1927年、チベット、ラサ南方にあるロカ地区に生まれ、6歳になったときにゴンカル寺に入門。12歳でラサのメンツィカンに入学し20歳のときに卒業された。1959年にインドに亡命後、ダライラマ14世の侍医に推挙される。1961年、メンツィカンの初代校長に就任。慣れないインドの土地を歩きまわって薬草を探し、チベット医学をゼロから再建した過酷な歴史は、いまも語り継がれている。そんな偉大な先生は1979年に侍医を引退され、現在はマクロード繁華街(第29話)の裏路地に御自身の病院を持って治療にあたっておられる。同級生が先生の病院に行ったところ「なんだ、メンツィカンの生徒か。私の腕を試しにきたのか?」とたしなめられたという。困っている患者には菩薩のように接する先生は、医学生に対してはいつも厳しい。

2011年、医学生の有志3名が、そんな怖い先生にインタビューを敢行した。1959年以前のメンツィカンの実情をいまのうちに書き留めておかねばならないからである(第135話)。以下は先生から得られた貴重な証言である。

* * * *

当時、メンツィカンにはチベット各地のお寺と軍隊駐屯地から医学生が1人、暦法学生が1人ずつ選抜されて集まってきていたので、生徒の数は正確には覚えていないが大勢でした。四部医典の授業が終わった後には、必ず学友同士で問答をしていました。当時は必ず四部医典をすべて暗誦しなければならず、暗誦試験を終えた後には学生みんなにお茶を振る舞わなくてはなりませんでした。四部医典を学び終えた後、はじめて『八支部医学髄集』と『ユトクの十八武器』などを学ぶのです。それらを学び終えて次に『四部医典・根本部の樹木比喩』『論説部の樹木比喩』『秘訣部門補槌』、「四部医典秘訣部の寒熱重要点の章」を学びます。それらをすべて終えたその昼には卒業を祝う宴会が行われます。それぞれ出身のお寺から予算が集められ、学生自身はお金を出さなくてもよかったものです。
当時はお寺に戻りたくない学生もいました。そんな学生は15年も20年も学生のままでいました。学習期間は特に決められていなかったのです。学習は夜明け前からはじまり、ロウソクを灯しながら励みました。まず1時間、それぞれが課題の暗誦に励み、学級長に試験してもらいます。その後に朝食です。夕食後には、また暗誦に励まなくてはなりません。中には早く寝てしまうのもいましたが、だいたい彼らは落第してしまいました。

『カンリ・ランツォ(第124話)17号2011年』より小川が翻訳

* * * *

1959年以前のチベット医学は、ときに「純粋な僧院医学」のように理想的に語られることが多い。しかし、こうして先生から生々しいお話を伺うと、当時の学生たちの息づかいと人間臭さが伝わってくる。また、多くの軍人(チベット語でマクミ)が在籍し、必ずしも仏教色だけが強かっただけではないことがうかがい知ることができた。ちなみに、当時、軍医学生は軍からの支給金があったため、貧しい他の医学生たちとの経済的格差が問題になったという記録が他の文献に残されている。さらに、当時の教材やカリキュラムが、現在とさほど違いがないことを知って僕は安堵できた。かつての医学教育に比べて、現在のレベルは低下したかのような論調を耳にすることが多かったからだ。とはいえ、「昔はよかった」という懐古主義のおかげで、現役医学生たちはいつの時代も発奮できるのかもしれない。卒業した今となっては、そう冷静に分析している。

先生に寄付していただいた八薬師

2008年の研修医時代(第59話)は、よく先生の処方箋を持った患者が訪れた。先生の病院にはいつも長蛇の列ができることから、診察はたいてい短時間で終わってしまうらしく「あれでちゃんと診てもらえているのか不安なんですよ」というのが患者の言い分である。でも、こちらも心得ていて「あちらでは、メンツィカンの医者は若くて頼りないとかなんとかいってるんじゃないの」とたしなめると、患者は「えへっ、ばれたか」と苦笑いを浮かべて下を向いた。先生に診断だけしてもらい、薬は保険が適用されるメンツィカンから安くもらおうという、したたかな魂胆なのだ。でも僕はこんな人間臭い光景に出合うと、チベット医学が社会に根差していることを実感できて嬉しくなる。それに、その魂胆のおかげで、僕はまだお話ししたことがないにも関わらず、患者を通して先生の診断や処方に触れ、間接的に教えを受けることができたといえる。
御年86歳になられた先生は今も現役で活躍しておられる。

小川さんの講座・旅行情報



【旅行】