第151回●ペリン ~木版印刷~

ペリンを読経するツェチュの様子

先日、ダラムサラで仏教論書の『入菩薩行論』を求めたところ、店主から「いま本型は売り切れて、ペリンしかないけどいいかい」と言われ、思いもかけずペリンを購入することになった。ペリンとは、ペチャ(教本)リンポ(長い)の略(注1)。細長い長方形の木版で紙に印刷され、各ページは天地が逆になるように両面印刷になっている。それを一枚一枚、上方に裏返しながら読み進めていく。ただし、背が閉じられておらず、風が吹くとバラバラになってしまうために、取り扱いには注意を要する。

本型の四部医典で学ぶ筆者 2007年4月

もともと、チベットで教本といえばペリンだった。しかし、近年になって洋装の本型への移行がすすみ、たとえばメンツィカンでは、四部医典をはじめ、他の医学解説書もすべて本型になっている(注2)。なんといっても本型のほうが携帯に便利だし、活版印刷、そして現在ではコンピューターのほうが編集・校正しやすいからだ。したがって、外国人の僕だけでなく、最近のチベットの若者たちもペリンには馴染みが薄くなっているだろう。

そうしたペリン文化が失われつつある現状を誰よりも憂いているのが親友のジグメ(第2話)である。そこで、彼の情熱を無駄にしないためにも、彼から教わった知られざるペリンの長所を以下に紹介したい。

① バラバラになる
1960年代、メンツィカンに四部医典がペリン1巻しかなかったころのこと(第41話)。学生たちはペリンの1枚ずつを分け合って、暗誦に励んでいたという。暗誦を終えると別の頁と交換する。こうして物資に乏しい時代には、教本がバラバラになることは長所に転じる。また、仮に教本が風に吹かれて飛び散ったとしても、教えが風に乗って広まったと捉えて、縁起がいいこととされる。

② 有難味がある
ペリンは1巻ごとに木の板、または厚手の紙で挟み、黄色い布に包まれる。間違っても地面に置いてはならないし、腰より低い位置にすら置いてはならない。持ち運ぶときは頭の上に捧げながら、もしくは肩の上に担ぐようにするのが理想とされる。こうしてペリンを敬う文化が受け継がれており、それは学問への敬意につながっている。

③ 地域を豊かにする
チベットでは木版文化が発達した歴史があり、特にカム地方のデルゲは木版職人の街として有名である。ペリンを作るために使われる紙や版木は、周辺地域の植物から生み出されている。紙や木材など地域の産物を適度に利用するので、自然環境の保全や活性化に役立つ(注3)。

木版

「地域を豊かにする」の項目では話がさらにふくらんだ。実際にチベット本土での小坊主時代、彼は木版での印刷作業をやらされたというのである。木版製作と紙作りは行わなかったが、紙の原料はレチャクパ(第109話)、版木にはタクマシン(第21話)が用いられていた。小坊主たちの作業は、まず、特殊なインク作りからはじまる。調合を少しでも誤ると、木版から紙を剥しにくかったり、インクが薄くなったりするため神経をとがらせたそうだ。また、聖なる経典だけに少しでも斜めになってはいけないので慎重に紙を合わせたという。刷り終えると一枚一枚、ていねいに並べて乾かす。乾いた紙を重ねたあと、端を揃えるために当時、お寺にハサミはない。そこで、カルボンと呼ばれる火打石をひたすら擦りつけ、四方を削って長方形に整える作業は、たいそう時間がかかったという。この作業を回想するジグメの表情の険しいことこのうえなし。

薬師経 四辺が黄色く塗られている

最後にペリンの周りを黄色く染めて装飾する。「オガワ、黄色は、いったい、なんの薬草を使ったと思う」と今度は険しい顔から一転、ニヤニヤしながら質問してきた。「ユンワか(第45話)か」と適当に答えると「違う。クルモン(第49話)だ」と、してやったりの表情。クルモン、つまりタンポポの花をたくさん採ってきて、ひたすら擦りつづけたというから、なんとものどかな光景である。といはいえ、こちらもたいへん手間がかかる作業なうえに、小坊主たちの両手も真黄色に染まったそうだ。

ジグメの話を聞いているうちに、群青の空と、白い雲と、緑の草原と黄色いタンポポ、そしてエンジ色の僧衣のコントラストが浮かんできた。ペリンの向うにチベットが広がる。小坊主たちの笑い声が聴こえてくる。これが一番の魅力なのかもしれないな。
 

(注1)
横の長さが短いものはペ・トゥン(短い)と呼ばれる。また、ペリンもペトゥンも総称でペチャ(経典)と呼ばれることが多い。

ペリンの仏典が納められたダラムサラ図書館

(注2)
四部医典の木版は、18世紀に作成されたデルゲ版とラサ版の2つがある。ダラムサラには四部医典の木版は存在しない。正式な儀式ではペリンの四部医典が必要となるので、いつもチベット本土へ発注していた。

(注3)
木版印刷については『活きている文化遺産 デルゲパルカン』(明石書店)に詳しく書かれています。また、ペリンはラサやダラムサラの本屋で誰でも購入可能です。ガイドに頼んで、簡単なペリンをお土産に購入してみてはいかがでしょうか。

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