第292話 ノルトゥル ~間違い~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

2020年11月23日 暗誦する筆者 2020年11月23日 暗誦する筆者

 四部医典の暗誦儀式「ギュ・ニ」(第291話)を開催するにあたり、暗誦の立会人をどうするか悩んでいた。メンツィカンで開催されるギュ・スムでは、大学の先生が5人がかりで立ち会い、つまり審査にあたる。一人につき4時間近くもかかるため責任者を章ごとに決めて負担を分散させている。もちろん先生方はかつて四部医典を暗誦した経験のある方ばかりである。ラダックで開催される暗誦儀式ギュクでは、地元ではなく必ず他所の村からアムチが二人招聘されて審査にあたることで客観性とともに緊張感を生みだしている。

 とはいえ日本に四部医典の暗誦経験のある人がいるはずもない。立会人がなくては儀式として成立しないのではないか。暗誦に立ち会う人のことをチベット語で「ギュク(暗誦)レン(受ける)ケン(人)」という。審査という意味合いの単語は用いられず、「受ける」という単語が用いられている。つまり暗誦が一方的なものではなく、そもそもが相互的な存在であることが動詞からわかる。実際、暗誦の良し悪しを評価してくれる人がいなければ、暗誦のモチベーションを2時間近く保つのは難しい。

 結局、チベット語、並びにチベット仏教に精通した2人の日本人と、かつて仏教経典を暗誦していた元僧侶の在日チベット人、合計3名の知人に無理を言って立会人を引き受けてもらった。失礼を承知の上で正直に告白するならばアムチの代役としての依頼である。しかし、彼らとともにこの場を作り上げなくてはという一体感が生まれたおかげで、思わぬ相乗効果が生じてきた。相手が先輩アムチならばどんなに高速で暗誦しても、ときに暗誦が行きつ戻りつしてもわかってもらえるという甘えがある。また同業者だからこそ「見ていろよ」といわんばかりの挑むような野心が(特に僕の場合は)生じてしまう。しかし、そうではないがゆえに相手の立場にたって丁寧に暗誦しなくてはという配慮が僕のなかに生まれてきたのである。さらにはじめての経験だからこそ3名の知人が一生懸命に、そして新鮮な体験として楽しんでくれているのが伝わってきた。暗誦を進めるうちに3人との呼吸が合ってくるのがわかる。ちょっと詰まると、その一節の冒頭を絶妙のタイミングで囁いてくれ、いい意味で彼らに暗誦を預けるような身体性になる。挑まんとする感情は消え去った。すると肩の力が抜けて、かえって暗誦がスムーズに流れ出した。この「身を預ける」相互的な感覚はメンツィカン時代にはなかったことだ。

 暗誦を終えて「暗誦の審査員は間違い(チベット語でノルトゥル)を厳しくチェックする人だと思っていましたが、実際には暗誦に詰まったら助けてあげる伴走者だったんですね」という感想を聴聞者からたくさんいただいた。特に20代の映像スタッフが「完璧じゃなくてもいいんですね。そこに気が付いたとき幸せな気持ちになったんです」と繰り返し呟いていた様子に、逆にいまの日本社会が抱える問題点を推し量ることができた。思えば日本の学問には助け合うという意識は薄いかもしれない。受験勉強はいつも競争であり、大学の論文もミスがないか、論拠が不完全ではないかなど粗さがしをするがゆえに委縮しがちになる。マスコミもちょっとした言説のミスを見逃さない。だからみんな責任を回避するためにレジュメの棒読みになってしまう。そんな閉塞した日本の学問文化に対して、(思いもかけず)チベットの学問文化が一石を投じることができたようだ。

 思い出される光景がある。2006年メンツィカンでのギュ・スムの儀式で暗誦がいちばん難しい地点に差し掛かり、暗誦者が詰まり気味になった。そのとき一番近くに座っていた同級生プンツォクが小声で唱えはじめたのである。おかげで暗誦の調子を取り戻したのはいいが、そのまましばらく小声で唱え続けていたので先生から「いい加減にしなさい」と注意された。日本人から見れば両者に厳罰が下される行為かもしれない。しかしチベット社会としてはギリギリ容認の範囲であり、その寛容さはチベット社会全体で共有されている。

メンツィカン授業風景 2007年 メンツィカン授業風景 2007年
メンツィカン薬草実習 2008年 メンツィカン薬草実習 2008年

 こうしてチベット社会の寛容さをしたり顔で記しているが、メンツィカン時代には一字一句間違えない完璧な暗誦を目指し、そもそもそういうものだと思っていたし、そしてそれを誇りにしていた。しかしいまにして振り返ると「ひとつのミスも許さない」日本人的な僕の暗誦はチベット人たちに、人肌の欠けた機械のような恐怖感を与えていたと気がつかされる(注)。50歳になり、幸いにして助けを借りなければ暗誦ができなかったおかげで、ようやくチベット的なアムチ(医師)になれたような気がしている。

(注)
いっぽうで「ミスを許さない日本社会」ゆえにインド社会、チベット社会における日本製品への信頼は別格である。

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