第294話 ニャカン ~満月~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

野倉への道 野倉への道

夕方、店舗を閉店するといつも別所温泉の外湯に出かけている。入浴代はたったの150円。小さお風呂では常連さんたちと農作物や大相撲の話題で盛り上がる。そろそろ上がろうとすると「歩いて野倉まで帰るのかい?」と聞かれ「今日は満月だから夜道が安心ですよ」と笑顔で返す。そんなとき自分が時代小説の主人公になったようでちょっと嬉しくなる。別所温泉から野倉までは街灯が数本しかないためにほぼ真っ暗な道を2キロ弱、高低差150mの上り坂を歩くことになる。ちなみに別所温泉は15年前に街灯をすべてLEDに取り換えたのですこぶる明るく、遠くから眺めると不夜城のごとく街が光り輝いている。だからこそ街を少し離れるだけで満月の明かりの有難さをそのまま実感することができる。

木々の陰がくっきりと浮かび上がるほどの明るさ。しかも幸いなことに遊歩道は昔のままで舗装されていない。僕は小さい頃から歴史が大好きで、過去にタイムスリップしてみたいといつも空想をしている少年だった。だから満月の夜に野倉までの山道をひとり歩いていると、江戸時代に紛れ込んだ空想に浸ってしまうのだ。店舗に着くと、畑とその向こうに聳える独鈷山が幻想的に見渡せる。こんな夜は鹿も狸も狐も畑の作物に悪さをしないだろうな。月を愛でる心根は自覚していないけれど、月のありがたさを享受せざるをえない暮らしには憧れを抱いている。

新月伐採した木 新月伐採した木

街灯が普及する以前、新月の夜は真っ暗で顔を突き合わせても判別がつかないほどだった。だからこそ忠臣蔵の吉良邸討ち入りは満月の前夜に決行されたという。これは同士打ちを避けるためにあえて明るい夜を選んだとされている。本能寺の変は6月2日、つまり新月の未明にあたる。亀岡城からの移動を悟られないために暗闇の日を選んだとも考えられるし、逆に「天命は我にあり。いまだ!」と新月が光秀の背中を押したかもしれない。月の明るさを体感していると時代小説がよりリアルに感じられるようになる。

そういえば新月は僕の背中を押してくれたことがあった。新月に伐採した木は狂いが少なくて良質の材になると言われる。しかし僕は木材の精密さを感じとれるほどの精密な腕前はないのでその真偽を語ることはできない。それでも2019年1月6日、3年前から先送りを続けていた杉の大木の伐採(樹齢100年)を「よし、明日やろう!」と決断したのは新月のおかげである。伐採が大変なら道路脇まで引きずりだすのはその何倍も大変だった。そして苦労の甲斐あって年輪のつまった良質の材が得られ、そのほとんどは知人の事務所の新築に用いられた。店舗に増設したデッキ、店内の机はこの杉からできている。

デッキを作成中 デッキを作成中

こうして月を意識するように、いや、意識せざるをえなくなったのはチベット社会での生活が影響している。たとえば満月の日は朝からチベット寺院でソジョンと呼ばれる法要が執り行われる。チベット人は寺院へ足を運び一ヶ月の行いを振り返り、心を浄化するのである。それに伴いこの日は肉を食べない習慣が根づいている。またチベット薬のなかでも高貴薬の服用は満月の日と指導することがある。満月が薬に影響を及ぼすか否かはさておき、月齢とともに生きているチベット人にとっては服用を忘れないという利点を見出せる。月齢10日は医薬の法要ツェチュを執り行わなくてはならない(第79話)。そういえば、かつては講演会の度に満月の夜に製薬する「月晶丸(第19話)」の話をよくしていた。日本人のみなさんが喜んでくれるので期待に応えていたけれど、チベット人は日常の一部としか捉えていないし特別なものとは見なさない。つまり、話題にしなくなったことで僕もようやくチベット人的になれたといえる。

なお満月はチベットの文語でニャカン、口語ではツェバ(日)チョウガ(15)といい、満月の日に子供が産まれるとチョウガと名付けられる。

 

最後に満月にちなんだチベットの四行詩を紹介したい。

ひがし(シャル)のかた(チョク)の山(リボ)の嶺(ツェ)から(ネ)
ほの(カル)白い(セル)月(ダワ)が昇った(シャルジュン)。
まだ(マケ)母(アメ)ならぬ娘の顔(シェ)容(レ)も
心(イー)の(ラ)嶺に次第に円(コル)(まどか(コル))に(チェ)なった(ジュン)。

ダライラマ六世ツァンヤン・ギャッツォの恋愛詩(注)


独鈷山 独鈷山

満月の日は店舗の南東に位置する独鈷山の嶺に月が輝くのだが、このコントラストはメンツィカンの屋上から見えた風景と似ている。だからだろう、あいにく恋焦がれる女性の顔を重ねることはないけれど、月齢とともに暮らしていたメンツィカン時代が心に甦り、同級生一人一人の顔が思い浮かんでくる。みんな元気にやってるか?


(注)
『チベット上』(山口瑞鳳 東京大学出版会 1987)より引用。

参考1
チベットでは兎が月の乳海を棒で撹拌していて、それで月光が発するとされる。なお日本のお月見のように月に捧げものをして愛でる風習はない。

参考2
「ツェチュ」などの、チベット文化圏のお祭り(法要)については関連よみものもご覧ください。

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