添乗報告記●ウズベキスタン・バザールと世界遺産紀行9日間(2008年年末)

2008年12月26日〜2009年1月3日 文●宮内愛(大阪支店)
冬になるとお客様から、「冬のウズベキスタンってアリなの?とっっても寒そう。」というご質問を頂きます。ユーラシア内陸部にあるウズベキスタンは寒暖差が激しく、夏は暑さが、冬は寒さが心配です。冬の最低気温を調べると、マイナス十何度という恐ろしい数字が並んでいたりするのですが、ウズベキスタンの冬の写真を見ても、現地の方は元気そのものです。いったいどういうことなんでしょうか!?年末の添乗で、ウズベキスタンの「冬」を体感してきました。

寒さは足元からやって来た!

ソウルで乗り継いでやっと降り立ったウズベキスタンの首都タシケント。空港の外に出ると辺りはもう暗くなっていました。ウズベキスタンはもともと降水量が少なく乾燥している地域です。雪が積もることはあまりなく、冬の時期はキンと冷えた空気に包まれています。特に朝夕は気温が下がるので、日本を出るときに着ていた上着だけだと少し寒く感じました。
サマルカンドやタシケントは大きな街なので、観光地から観光地へと車で一気にワープすることが多いのですが、ヒヴァやブハラなどの小さい街では車ではなく歩きで世界遺産の街を回ることができます。気になる寒さは、ちゃんと着込んでさえすれば大丈夫。空気にさらされる手や頭に毛糸帽子、マフラーと手袋があればちょうど良い位、さらに上着もダウンなら文句なしです。
歩き観光には、車窓からではなかなか気がつかない様々な発見があります。まさかこれが世界遺産じゃ・・・!?と思いたくなるほど味のある可愛らしい車や年代物の自動販売機を道すがらに観察したり、バザールの人たちと「アッサロームアレイクム!」「アレイクムアッサローム」と挨拶を交わしたりできるのは歩き観光だけの特権です。

メドレセなどお目当ての観光地についたら、すぐに中に入ってしまわずにまずは正面からじっくり観察しましょう。どの街のメドレセにも、青く美しい無数のタイルが正面のアーチ部分にはめ込まれているので、大抵の場合はまずこのアーチ前で立ち止まって、外からじっくりと眺めながら歴史や特徴について解説を受けることになります。歩いているときは気にならないのですが、「寒さは足元から」というように、地面の冷たさがじわじわと靴底を通って私たちの足を襲うのはまさにこの時。靴底の厚いトレッキングシューズや内側にボアの付いた靴がオススメです。靴用の使い捨てカイロもかなり役に立つでしょう。


独占満喫 世界遺産

冬だから楽しめること、それはどこに行ってもほぼ「観光地独占!」ができる事です。近年ウズベキスタン人気が高まり、たくさんのツアー客が訪れるようになりましたが、冬の時期は一年の中でも訪れる人が少なく、日本人だけでなくほとんど外国人を見かけません。たとえばサマルカンドにある“グリ・アミール廟 ”。ここはウズベキスタンの英雄ティムールの一族が眠っている墓廟で、時には廟内に人が入りきれないほど混み合うこともあるのですが、私たちが訪れたときはほぼ独占状態でした。ゆっくりとガイドさんの解説を聞いた後、静寂に包まれた金色に光る廟の内部を隅から隅までゆっくり見て回ることが出来ました。
ブハラでは旧市街の中心部にあるカラーンモスクを訪れました。ここでは他に誰もいなかったので広いモスクが実際にどのように使われているかを教えてもらうことが出来ました。礼拝の時にはたくさんの人がモスクを訪れます。マイクもスピーカーも使わずにイマーム(導師)はモスク内に集まった全員に向けて話をしなくてはいけません。このカラーンモスクは天井部分が丸い200以上の小さなドーム状の構造をしていて、イマームの話した言葉がブハラを吹く風に乗ってドームの膨らみ一つ一つを回り、声が増幅されモスク全体に伝わるようになっています。他に誰もいない静かなモスクの中で、私達もイマームを真似て声を出し、モスク全体に言葉が伝わる様子を体験しました。

階段を抜けるとそこは展望台

モスクやメドレセの隣にそびえる塔・ミナレット登頂を目指すアクティブな方にも冬をおすすめします。私たちも今回、各地でミナレットに登ることを楽しみにしていて、①ウルグベク・メドレセのミナレット(サマルカンド:33m)⇒②アクサライのアーチ(シャフリサブス:38m)⇒③カラーン・ミナレット(ブハラ:47m)⇒④イスラム・ホジャ・ミナレット(ヒヴァ:52m)という4つのミナレットとアーチに挑みました。どのミナレットも内部は暗くて手すりもありません。懐中電灯を片手に、段差の異なる螺旋階段をぐるぐると上りました。ミナレットでは途中で降りたい人と出会うとさぁ大変、踊り場のない狭い階段ですれ違うのは至難の業です。登りと下りの階段は分かれておらず兼用ですので、螺旋階段のわずかなスペースを、どちらも踏み外して転げ落ちないように細心の注意を払いながら行き違うのはとても大変でした。人が少ない時期で本当に良かったですね、と口々に言い合ったのはこの時が一番ではないでしょうか。唯一混んでいたのはヒヴァのイスラム・ホジャ・ミナレットです。城壁の中全体が世界遺産に指定されるくらい小さなヒヴァの街では、恋人たちが人目を避けて愛を語り合うことが出来る場所がほとんどないため、このミナレットは冬でも大人気なんだとか!たくさんの幸せそうなカップルと途中ですれ違うことになりますので覚悟して下さいね!


年越しだけどクリスマス?!

さて、今回の旅のもう1つの楽しみにウズベキスタンでの年越しがありました。大晦日の日、私たちはブハラからバスに揺られ約8時間、天然ガス工場があちこちに見えるキジルクム砂漠を通り抜け、ヒヴァに到着しました。ヒヴァは今回の訪問地の中でもっとも北に位置するためか、夕暮れ前でもかなり冷えました。でも、私たちは寒さをもろともせずに、夕食までヒヴァの街の散策を楽しみました。
日本では、クリスマス当日までツリーなどの電飾や街に流れるちょっと洒落た音楽で街はクリスマスムード一色ですが、クリスマスの翌日には街もショーウィンドウも綺麗に片付けられます。一夜のうちにガラッと純和風なお正月仕様に一変する様子にはいつも感心します。でもウズベキスタンでは、クリスマスが終わってもクリスマスの飾りもそのままで、引き続き年越しの飾りつけとして活躍します。

散策の途中、夜のパーティーに向かうであろうサンタクロースを発見!今まで、クリスマスに世界中を回って一息ついたサンタクロースはクリスマスが終わると共にトナカイのソリで北欧に戻っているのかと思っていましたが、ウズベキスタンに寄り道をしてもうひと仕事している事実をスクープいたしました!サンタクロースはウズベキスタンで新年を迎えていたのです!サンタという名前からコルボボと名前を変えて、新年を運んでくる仕事をしています。
※KOP БОБО=コルボボ。サンタクロースをウズベク語ではコルボボと言います。)

この日の夕食は記念すべき大晦日ディナーでした。ウズベキスタンには日本の年越しそばのように大晦日に食べる特別な料理というものはありませんが、大晦日 ということでいつもより少し豪華な夕食の後に、地元の舞踊団による踊りを見ることができました。初めは手拍子を打ちながら見ていましたが、誘われるままに最後はみんなで大ダンスパーティーとなり、みなさんでいい汗をかきました。
そして、午後11時30分。2009年まで約30分となった真っ暗なヒヴァの町の中、私たちは懐中電灯の光を頼りにカウントダウンへ出かけました。イチャン・カラの玄関であるオタ・ダルヴァザ門(西門)はカウントダウンを待つ人が集まって、キラキラと輝く電飾で飾られたツリーを囲んで2009年の年明けを声を合わせてカウントダウン!もうその辺にいた誰だかわからない人とも抱き合って熱い頬ずりをし合い、シャンパンで乾杯しました。いつもは静かな世界遺産イチャン・カラ、ミナレットの脇にはオリオン座が光っていて、明日も晴れそうな予感がしました。街角ではダンスパーティーが行われていて、朝までお祝いは続くそうです。


感動!絵になる初日の出

翌朝、私たちは眠い目をこすりながら外に出て、まだ真っ暗な空を見上げながらある場所に向かいました。何をしに行くかって?これ、これです。


初日の出!空にはうっすらと雲がありましたが、お天気はまずまず。昨日夜更かしをしたのでまぶたが少し重かったのですが、ツンとした寒さの中で眠気も吹っ飛びました。しばらくすると東の空が少しずつ明るくなってきて、ミナレットの影が見えるようになりました。もう少しです。ホテルの屋上で日の出を待ってカメラを構えてじっとしていると、グットタイミングで熱々のお茶の差し入れがありました。お茶の器を両手で抱えてお茶を口に含むと体の中も暖かくなりました。劇的な初日の出が訪れたのは8時20分ごろのこと。最初はうっすらと明るかった空が燃えるような赤に変わり、そして大きなオレンジ色の塊が地平線からゆっくり顔を出しました。待ちに待った瞬間です!ヒヴァで迎えた2009年の初日の出。誰かの言った「まんまるの太陽をみたら、この1年元気で楽しく過ごせる気がする」。きっと叶うと思います。

冬のウズベキスタンはこの通りとっても楽しいということが分かりました。冬のウズベキスタンに行った事がない方、これから行きたいなと思っている貴方、胸を張ってお薦めいたします。「ウズベキスタンは冬こそ面白い!」


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