第300話 カンチュン ~小屋~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

コロナ禍の影響で講演の仕事が入っていないし店舗にはお客がこない。こんなときはずっと以前から先送りにしてきた宿題に取り組めるというもの。そこで、店舗の隣の空き地に小屋(チベット語でカンチュン)を建てようと5月4日の朝に突然思い立った。2016年に店舗を建設した際にたくさんの木材が余ってしまい、ずっと店舗の床下に押し込んであった。薪棚を作って少しは消費してきたものの、まだまだたくさん残っている。「5年も経過してそろそろ使わないと劣化しちゃうよ」と棟梁から示唆されていたこともある。とはいえ第230話でも述べたが、棟梁の指示通り作業をするのと自分一人で考えながら建てるのとではまったく勝手が違う。ラフスケッチのような簡単な設計図だけでとりあえず作業をはじめてみた。

 最初は骨組みだけを作ってそこに大きなヨシズをかけた日蔭の休憩所にしようと考えていた。すると少し欲がでてきて、野地板を張って屋根を作って薪小屋にしようと計画変更した。棟梁に教えてもらい「大和葺き」と呼ばれる伝統的な工法で屋根を葺いてみた。すると薪小屋にしておくのはもったいなくなって、床を張って居住空間のある場所にしようと思いはじめた。なにしろ贅沢なことに、3年前に伐採して製材した良質の杉板が余っている(第294話)。作業は晴天に恵まれて順調に進んだ。このころ僕の無計画性を知りつくしている妻から「それで、何の小屋になるの?」と何度も質問するので「If you build it, he will come.(それを造れば、彼がやってくる)」という映画「フィールド・オブ・ドリームス」の名場面さながらに神秘的に答えてあげたのだが、さらに呆れられただけだった。

 目的が決まっていなかったがゆえにお金をかけたくなかった。したがっていまある材料だけで小屋を完成させよういう明確な目標だけは定まっていた。板が足りなくなったら薪棚から剥がしてきた。まるで戦時中の鉄供出のごときである。足りない柱は森から檜の小径木を伐り出して皮を剥いだ。屋根には4年前に浸けこんだまますっかり忘れていた自家製の柿渋(第248話)を塗って防水をほどこした。竹を割って雨どいにした。頭が疲れるほどに頭を使って考えた。こういう知恵を人類学的にプリコラージュというらしい。すると次第にそれぞれの素材が役割を一番発揮できる場所で落ち着いてきた感がある。床下に雑然とおいてあった木材は綺麗になくなり風通しが一段とよくなった。なんとなく薪置き場になっていた空き地は、空き地でなくなった。そして床を張った時点(5月20日くらい)になって「そうだ! 薬草瓶をならべて百薬講座を開催できるようにしよう」とようやく方針が決定したのである。いままでは薬草瓶は店舗の裏にしまってあり、百薬講座の度に運んでいた。また店舗内で講座を開催していたので、他のお客さんが来店すると買い物ができなかった。そうと決まると、「最初からそうなる運命だった」という都合のいいスト―リが頭に浮かんできてしまう。

 そういえばチベット医学を学びにダラムサラへ渡ったときもこんな感覚だったなあと懐かしみ、金槌を振る手が止まった。1999年、あのころ猿岩石の貧乏旅行沢木耕太郎『深夜特急』によってアジア横断ブームが起きていた。とりあえず日本を飛び出してみようという軽い気持ちを後押ししてくれるそんな時代だった。ダラムサラで腰を落ち着けると次は「翻訳できるレベルまでチベット語を勉強しよう」となり、「せっかくだからメンツィカンを記念受験してから帰国しよう」に発展し、気がつけば四部医典の暗誦に夢中になり10年が経過していた。同様のケースとして、普段着のままちょっと畑に身回りに出かけただけなのに、気がつけば1時間近く草むしりに夢中になって服が汚れてしまうことは頻繁にある。いずれにせよ、こんな人生が自分らしい生き方なのだと妙に納得すると、再び金槌を振って作業をはじめた。床ができると腰板を張り薬草棚を作り、いよいよラストスパートに入った。
 小屋は梅雨がはじまる前の6月1日に完成。薬草瓶は甘草、大黄、麻黄など中国産の生薬と鳩麦やヨモギなど自家製の薬草のほかにチベット薬も見本として少しだけ並べるとおおよそ100種類になった。翌日たまたま来店した書道家の知人に小屋の名前の書を依頼すると快諾してくれた。看板の板はもともと小屋の脇に生えていた栗の木を5年前に製材したものだ。そして6月30日、画竜点睛のごとく「百薬堂」の看板を掲げた。

「If you build it, he will com.」。もしかしたら百薬講座のあいまに、チベット医学の創始者ユトク医聖、医薬の祖・神農、安土桃山時代の名医・曲直瀬道三など過去の名医たちが次々と現れるのではと夢見ているのだが……。



参考
フィールド・オブ・ドリームズ
ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑を歩いているとふと謎の声「If you build it, he will come.」を耳にする。その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を造り上げる。その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場に見つける。そこにいたのは1919年のブラックソックス事件で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた”シューレス”・ジョー・ジャクソンだった。  (Wikipedia)を一部改変

                         

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