第306話 シワ ~令和(なぐし)~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

日本藥学史 日本藥学史

2011年、古書店で『日本藥學史』を偶然見つけた。薬学部生時代にはこの本の存在はおろか、「薬学史」という科目の存在すら知らなかったのだから誠に恥ずかしい。「印刷が甚だ困難な時代に出版を快諾せられ」という序言の一文に象徴されるように、この草稿は戦禍を奇跡的に逃れ、戦後まもない昭和24年に発刊されている。著者の薬学者・清水藤太郎は明治19年生まれ。明治から昭和にかけて、すなわち薬草が主体の漢方から合成薬が主体の西洋薬へと、薬学がもっとも劇的に変動した時代を生きた当事者である。だからこそ真実の薬学史とともに、問題意識を後世に伝えなくてはならない。旧字体からは当時の社会世相とともにその強い意志が伝わってくる。そんな本書の見どころを紹介したい。

1.クスリの語源
病をいやす動植物をクスリという。原義は令和(なぐし)の意なり。其は神を和し、人を和め、風の和、波の和などの和にて、…… 後略

これは江戸時代の医学者・佐藤方定(のりさだ)の『奇魂(くしみたま)』(1831年)からの引用文である。つまり、おそらく古代において(少なくとも江戸時代には)令和という単語が存在していたことがわかる貴重な記述である。令和はレイワの音読みよりも「なぐし」と訓読みのほうが日本人にとってしっくりこないだろうか。ただし、新しい元号が令和と発表されたときに、すぐにこの記述に思いあたったわけではない。
和す(なぐす)はチベット語でシワという。シワには静止、平安とともに解脱、寂静という意味もあり、日本人にとって「和」がそうであるように、チベット人にとって「シワ」の単語は重要な位置を占めている(注)。

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2.『延喜式』
『延喜式』は平安時代の延喜五年に醍醐天皇の勅によって編纂し927年に完成した。そのなかには全国七道54ヶ国から年々納められた薬草名と数量が細かく記されていて、それらすべてを掲載している。たとえば信濃国は以下のとおりである。

黄連十斤、細辛三十五斤、白朮二十六斤九両、藍漆五斤、大黄三十斤、女青六斤、
蘭茹三十七斤、干地黄一斗四升、附子三斗、蜀椒一斗六升、蕪夷一斗、
石硫黄三斗八升、熊胆九具、鹿茸十具、枸杞二十斤、杏仁六斗、大棗大一斛

杏仁(アンズ種。咳止め)に代表されるようにこれらは現在の信州の産物とおおよそ共通している。白朮はオケラ(キク科)のことで、30年ほど前までは豊富に生えていたが近年激減している。ここ上田地方ではかつて硫黄が産出したゆえに戦国時代には火薬の製造、現代では花火の伝統につながっている。硫黄の採掘現場は現在、閉鉱されている。こうして現代との連続性を見つけるとともに、連続性がなければ、なぜ途絶えたのかに想いを巡らせることができる。

店から見える独鈷山 くすり塾から見える独鈷山

著者は「延喜式時代は藥草採取が後世よりも、はるかに盛んであった」とこの時代の薬草文化を高く評価し、さらに「もし中国醫學が渡来しないで奈良平安の文化興隆時代を通じて數百年の間、自由な生長を遂げしめたならば、我國醫藥の道は全く別方向に發展し、興味ある獨持の日本醫學が世界の一角に樹立せられたことであつたろう」と興味深い仮説を展開している。


3.西洋医学の伝来
西洋醫學は渡來の初めは膏藥外科の幼稚なもので、一角、ミイラ、人魚、馬糞石の如き怪奇のものが尊重せらるるのであつたが、江戸後期シーボルトの來朝によつてやや面目を改め、明治維新となつて初めて之を自由に研究し得るに至つて急速な大發展をなし……後略

江戸時代以降に西洋医学が伝来したといっても合成薬が次々と輸入され、庶民の医療事情が劇的に変化したわけではけっしてない。著者は明治以降に日本に輸入された医薬品を順を追って事細かに記述している。江戸末期はカミツレやナツメグ、サフランなど、いわゆるハーブも西洋(蘭方)医学の薬品として珍重されていた。明治時代は阿片やクロロホルム、エーテルなど麻酔薬、石炭酸やヨードカリなど消毒薬が西洋薬の主体であったことがわかってくる。ペニシリンなど抗生物質は本書にはまだ登場しない。ついつい、「ナチュラル、ケミカル」「西洋、東洋」と二項対立で歴史を単純化してしまいがちである。しかし当時の実態を知れば問題はそんなに単純ではないことがわかってくる。

「かくの如く我國の藥に對する施設の甚だ幼稚であった最大原因は實に藥物に關する専門學が振わなかつたことにある」という言葉に代表されるように、本書には薬学者として慙愧の念が通底している。それは10年後のサリドマイド事件を端緒として次々に発生する薬害、さらには薬の過剰投与、大量廃棄、臨床データ改ざんなどの問題を抱える21世紀現在への警笛だったと捉えることもできる。逆にいえば、現在の問題の根幹を知るには歴史を学ばなければならないということになる。

令和四年、本書を教材に令和(なぐし・クスリ)を勉強していきましょう。本年もよろしくおねがいいたします。

今年も宜しくおねがいします。 今年も宜しくおねがいします。
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クスリの語源には諸説あり、その一つとして令和(なぐし)が紹介されている。
チベット語のシワは無意思動詞であり、意思動詞の令和(なぐす)とは厳密には異なっている。

参考文献
『日本藥學史』(清水藤太郎 南山堂 1971)。本書は1971年に復刊されている。(amazonに飛びます)

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