「喩えるならば、僕はチベット医学界の高見山です」と講演会で自己紹介すると、僕よりも年配者の方々は笑いとともに頷いてくれる。高見山(注1)といえばハワイ出身の大型力士。大相撲界初の外国人力士として関脇まで番付を上げ、全盛期だった北の湖の連勝記録を止めたときのことはよく覚えている。引退後は布団のマルハチのCMに出演し陽気な性格で人気を集めた。僕は祖父の影響で小さい頃から大相撲が大好きで、当時は北の湖のファンだったゆえに高見山を敵役としてみていた。外国人だからという理由もあったであろう。それが、いまでは手のひらを返すがごとく自分に重ね合わせるようになっている。その理由を以下に述べていきたい。
1.外国人としての特別待遇は一切なし
大相撲界では外国人力士に対して特別待遇は一切なく、大部屋に住み、付き人を務め、日本語で会話し、日本の風習に準じなくてはならない。全国放送のインタビューも容赦なく日本語で行われている。僕もチベット亡命政府によって世界に配信されるラジオ(注2)に出演したことがあるが、さすがに緊張した。だから外国人力士が日本語を話しているだけで共感を覚えてしまう。
またメンツィカン(医学暦法大学。北インドのダラムサラ)では外国人としての特別扱いは一切なく、学生の立場は大相撲の付き人と同じほどに低い。メンツィカンの共同生活に苦しんだときには、高見山の名言「目から汗が出た」を思いだしては自分の境遇と重ね合わせていたものだった。だからこそ僕は紹介されるときに外国人特別枠を想起させる「留学」と表現されることへの強い違和感がある。なるほど大相撲と同じで「メンツィカン入門」がしっくりとくる。
2.御当地意識
チベット社会におけるアムチの存在が、大相撲界におけるご当地力士の存在と似ていると感じていた。もともと大相撲は地域性を重視しており、したがって取組前には出身地が呼び上げられる。最近は長野県の御当地力士、御嶽海への思い入れを通して、やっと自分は長野県民になれたのだなあと実感できている。富山県出身の朝乃山がキャバクラ問題で処分を受けたときには同郷ゆえに「どうもすいません」と、いたたまれない気持ちになってしまった。こうして地域の人たちによって育てられ、見守られている点は、チベットにおけるアムチの成長過程と似ている。
3.人気の低下と外国人の受け入れ
メンツィカン入学希望者は僕が受験した2001年をピークに下降線をたどっており、チベット人からの人気に陰りがみえている。それは難民社会とはいえ物質的に豊かになってきたことで進路が多様になったことに原因があるのだが、それは大相撲を志す日本人の若者が減少していることと似ている。そして僕の入学を皮きりに外国人枠が2つ設けられ外国人を積極的に受け入れはじめた点もまた、ちょうど高見山の入門を皮きりにハワイ勢、続いてモンゴル勢の受け入れに積極的になった一昔前の相撲界と似ているのである。ちなみに相撲のような力比べをチベットの古語で「ジンカ・ケワ」といい、ティーパ病(熱病など)が発症する原因の一つとして四部医典に登場しているが、現在、チベットに相撲のような文化は見られない。
4.白鵬への評価
引退した大横綱・白鵬への評価は賛否が分かれている。以前の自分ならば否であったであろうが、現在は賛というか共感である。白鵬は古事記をはじめとして、どの力士よりも日本の歴史を学び記者団に披露するのを好んでいたという。優勝インタビューで明治天皇に触れ、当時廃れていた相撲を保護したことへの感謝の念を表したときには驚いた(平成24年九州場所)(注3)。日本人力士にはまず考えられないことである。僕もチベット人以上にチベットの歴史を学び、あえてチベット人との会話のなかで雑学を披露することでチベット人からの信頼を得ようと努力していたものだった。いっぽうで白鵬はそれほどまでに日本文化を学んでも、納得がいかないと自分の主張を曲げず、結局は日本人になりきれないところも、同じようにメンツィカンでけっこう物議を醸し、結局はチベット人になりきれなかった自分自身に重ね合わせることができていた。ただし僕は白鵬のように頂上まで登りつめたわけではないので、さすがに比較対象にするにはちょっとおこがましい。
ちょうど関脇に相当するほどのまあまあの学業成績とともに、はじめての外国人として周囲に刺激をもたらし、チベット民謡歌手としてもけっこう活躍した点を考えると(第7話)、やはり僕は「チベット医学界の高見山」だと、ささやかに自負させていただきたいのである。
注1 高見山大五郎(たかみやま だいごろう、1944年6月16日 – )は、アメリカ合衆国・ハワイ準州 マウイ島出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。身長192cm、体重205kg。愛称はジェシー。(wikipediaより) 引退後は東関(あずまぜき)親方となり東関部屋を創設。横綱曙、小結高見盛などを育てた。
注2 ラジオ・フリー・アジア(英語: Radio Free Asia、略称:RFA)
1994年にアメリカ合衆国議会が立法した「国際放送法」(International Broadcasting Act)に基づき、1996年に米国議会の出資によって設立された短波ラジオ放送局である。自由アジア放送(じゆうアジアほうそう)とも呼ばれている。(wikipediaより)チベット語による放送も行っている。
注3
白鵬V「天皇陛下に感謝したい」一問一答(2014年11月23日 日刊スポーツ)
アムチ小川康さんと歩く
【現地集合】~信州上田・別所温泉で学ぶ~ 百薬-ひゃくやく-の世界 2日間
コメント一覧
中島正人2021.12.03 06:46 pm
小川康2022.02.03 06:37 pm