ウルソ ~ロシア~ ヒマラヤの宝探し第310話

ロシアといえばマトリョーシカ ロシアといえばマトリョーシカ

ロシアはチベット語でウルソという (注1)。ただし12世紀ころに完成したチベット医学教典『四部医典』にはロシアに相当する地域は登場しない。登場するのはインドにあたるギャ(広大な)カル(白)、中国にあたるギャ・ナク(黒)、ネパール方面にあたるドルポ、モンゴル方面にあたるホル、現在のモン地方(インド・アルナチャルプラデシュ州)にあたるモン、これら隣接する5つの地域のみであり、ここから当時のチベット人の外国観をうかがい知ることができる。なおロシアとチベットのあいだにはウイグルがあるため隣接していない。

四部医典 四部医典

ロシアは19世紀から南進政策のもとにチベット領土への野心をイギリス、清朝とともに強く抱いていた。このころのロシアとチベットの関係を語るに当たり最重要人物がロシア領ブリヤート人僧侶ドルジーエフ(1853~1938年)である。1885年にチベットのデプン寺に入門し学僧として頭角を現した。後にダライラマ13世(1876~1933)の問答の教師を務めるほど信頼を得ていことからチベット人を凌ぐほどに仏教学に秀でていたことは確かである。

ドルジーエフはロシアのことを好意的にチベット社会むけて宣伝し、その影響でチベット人のあいだではロシア贔屓が強まり法王も親露に傾いていたという。1915年頃にはチベット政府がモンゴル経由でロシアにチベット人留学生2名を派遣している。同時期にラサに滞在した河口慧海(第287話)は著書の中でドルジーエフのことを「ロシアの秘密探偵」と記しており、事実ドルジーエフは1898年と1901年にロシア皇帝に謁見している。そしてロシアとチベット政府との接近に危機感を抱いたイギリス政府は1904年、折しも日露戦争がはじまった隙にとチベットへと侵攻した(第275話)。このときドルジーエフは顧問としてダライラマ法王のモンゴル亡命に付き添っている。

河口慧海(画 しろのゆみ) 河口慧海(画 しろのゆみ)

しかしいっぽう、ドルジーエフはロシア知識人のあいだにチベット仏教を広めるとともに、モンゴル、ブリヤートなど中央アジア一帯にチベット仏教文化圏を構築するという、仏教徒としてきわめて純粋、かつ壮大な夢があったのではともいわれており、僕はこちらを支持したい。一方的にロシアを利するためだけならば、そこまで仏教の学びを極める必要はなかったはずだからだ。

ロシアとチベット医学の関わりもまた深い。1850年頃、当時のロシア貴族のあいだにはチベット世界観が流行していた。なかでも宮廷医師のパドマエフ(1851~1920)はチベット医学に強い興味を抱き、1902年に四部医典の根本部と釈義部をロシア語に翻訳している。パドマエフの兄と甥も四部医典を学んで医師になり、彼の子孫はいまなおチベット医学の研究に携わっているという。そして90年後の1991年に四部医典全訳が世界に先駆けて完成していることを考えれば、ロシアはチベット医学研究の最先端国だといえる。ちなみにアメリカでチベット医学関連の書籍が出はじめるのは1984年、日本にその邦訳が出版されたのは1991年であることを考えれば150年近くの差がある。

チューダック医聖 チューダック医聖

1986年のチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故ではメンツィカンに治療要請があり、被爆患者に高貴薬(第86話)が処方され一定の効果を示したとされる。ロシアの厚生大臣はチベット薬に強い興味を示し、1991年にはモスクワにメンツィカン製薬工場を建設する計画が持ち上がり、当時の侍医チュダックを筆頭に数名のアムチがブリヤートへと薬草の調査に出向いた。しかしチベット薬を製造するには種類が十分ではないことがわかり、また1991年ソ連が崩壊して厚生大臣が解任されたことから、この計画は幻に終わってしまった。

しかし歴史の流れは継続していく。1998年ブリヤートからメンツィカンに留学生が医学コース3名、暦学コース1名、ロシア領カルムイク共和国から医学コース1名、合計5名派遣されメンツィカン十二期生に入学している。僕と同期の十三期生にはロシア領トゥバ共和国から一人入学し、入学時の自己紹介で「ロシア大統領の推薦書を携えてきた」と豪語したが彼は半年で退学した。彼らはロシア国籍ではあるけれどモンゴル系仏教徒であるという理由において、入学試験免除での特別入学が可能になったという経緯がある(第95話)

ブリヤートからの留学生ビクトル(中央) ブリヤートからの留学生ビクトル(中央)

彼ら、彼女らのうちの数名は試験に合格してメンツィカンを正式に卒業し、不合格でも聴講生としての在籍が証明されて帰国している。そしてロシア国内だけでなくチェコなどロシア語文化圏内において、チベット医として活躍しているらしい。それは彼らにメンツィカンから送付するチベット薬の分量から推察することができている。
さらに2014年、首都モスクワ近郊にメンツィカン分校を建設する計画を僕はダラムサラで耳にしたが、その後どうなったかは知らない。ただしチベット医学が積極的に受け入れられているからこそ、ロシア国内には(メンツィカン側から見れば)偽チベット医、偽のチベット薬が横行していることもまた、そこそこの歴史があるが故の結果として生じていることを補足するとともに、日本は他山の石としなければならないであろう。

注1
ウルソはモンゴル語(中国語)のオロス(俄罗斯)に由来していると思われる。

推薦図書
『ダライラマの外交官 ドルジーエフ チベット仏教世界の20世紀』(棚瀬慈郎 岩波書店)

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