第329話 ンガ・キョル~暗誦~ヒマラヤの宝探しチベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

興味深い映像をユーチューブに見つけた。それはメンツィカン学生チメが暗誦試験ギュ・スム(第289話コルワ ~聴聞者~)に挑むドキュメンタリーフィルム「The Tibetan Medical Oral Examinations―チベット医学の暗誦試験」(2019年 14分)。

冒頭、暗誦中の医学生が講堂の真ん中で泣いているシーンからはじまる。
この映像を視聴し終えて、上から目線の物言いで申し訳ないが、やっとチベット人自ら、自分たちの暗誦能力の凄さを自覚してくれたかと嬉しくなってしまった。なにしろ僕が在学していた当時2001~2008年には、欧米、日本の研究者たちの興味関心はルン・ティーパ・ベーケンといった神秘的な医学理論であり脈診尿診であり仏教との関わりであった。チベット側もそれに呼応するように、泥臭い努力の部分はできるだけ隠し、聖なる側面のみを彼らに提供しようとしていた(第105話パルチェ ~素顔のままで~)。欧米人はもちろん、チベット人にとってさえも暗誦は時代遅れなものとみなす風潮があり、その能力の凄さを誰よりも実感していたからこそ僕はずっと歯がゆさを感じていた。チベット語で暗誦をンガ(口頭)・キョル(唱える)という。

四部医典

医学を含め古来よりチベットの僧院では幼少期から徹底して仏教経典と論書の暗誦が求められてきた。僧院の暗誦試験では試験の前に各自クジを引き、クジのなかに記されている複数の箇所だけを暗誦する試験方式をとっているが、どの段落が当たるかわからないので結局はすべて暗誦しておかなければならない(注1)。なかには一か八かヤマを張る僧侶はいるが極少数派である。この方式ならば試験監督にかかる負担が少なくて済む。暗誦は試験をする方も大変ならば、試験を監督する側もかなりの苦労を要し、したがってほとんどの僧侶にとって暗誦は苦しかった思い出として残っている。ダライ・ラマ法王ですら自伝のなかで幼少期の暗誦体験を自虐的に語っているほどである(注2)。それでも、過去の偉大な仏教指導者やアムチの伝記のほとんどにおいて、幼少期における暗誦能力の高さが神話的に讃えられている。たとえば2001年メンツィカン入学試験では「999の仏典を暗誦した聖者の名前を答えよ」という問題が出された(注3)。

メンツィカン

暗誦の手順はいたって正攻法である。まずは一ページを声に出して何度も読み込む。すると自然と内容が腑に落ちてくる。次第にスピードを上げ、流暢になってきたら教典を外して、間違ってもいいから思いだせる範囲で暗誦し、思い出せない個所をだんだん少なくしていく。こうして反復練習しているとあるとき、口から教えが流れ出てくるようになる。そして口が勝手に暗誦できている状態で、その音を耳にしながら内容を考察しているときこそ理解が深まっていく、と僕は実感していた。ただしチベット社会では暗誦があたりまえに根差しているがゆえに、「なぜ暗誦するのか」と議論されることはなかった。

暗誦の練習に励む医学生

日本を顧みると、江戸時代の寺小屋や藩校では儒学の四書五経を暗誦することが基礎となっていた。明治時代に西洋の教授法が輸入されると、むやみに暗記する方法に対する批判が起こった。しかし明治23年に教育勅語が発布されるとともに暗唱することが求められ、多くの教育現場では、すべての教科において暗唱・暗写主義が使用されていった。そして教育勅語と戦争のつながりから、暗唱は洗脳教育としてのイメージが強くなってしまった。
戦後は暗唱の推奨と批判の波が交互に訪れ、2011年の学習指導要領には小学校で暗唱することが明示されていることからわかるように、小中学校教育では暗唱は比較的肯定的に捉えられている。しかし大学生以降における暗唱に関する議論は耳にすることはなく、幼少期の専門性が固まっていない時期の教育法として認識されている。そのため、暗誦し雄弁に語ることは日本の学界ではけっして評価されず、むしろ研究の本質を誤魔化すためのパフォーマンスとみなされることが多い。
こうして学問分野における暗誦の復権を願いながら記しているが、僕はもともと暗誦が好きだったという自覚はまったくない。メンツィカン(北インド・ダラムサラチベット医学大学)に入学が決まったときは「暗誦は面倒だなあ」と思っていたくらいである。しかし初めて先輩たちのギュ・スムに立ち会ったときの衝撃たるや、いまでも忘れえない。スポーツにたとえると観客で埋まったスタジアムの中央で試合をするような、音楽にたとえると舞台の上で演奏するような緊張感がある。チベットの学問は凄い! 暗誦はシンプルにそれを教えてくれる。

ギョ・スムに挑む筆者2007年

このドキュメンタリーの日本語翻訳と解説(“The Tibetan Medical Oral Examinations”※PDFファイル)

を作成したのでぜひ見比べながら視聴してほしい。暗誦の途中でチメが泣いている理由がわかります。いまごろ彼女はインドかネパール国内のどこかの分院でアムチとして働いていることでしょう。もし出会ったら「凄かったよ」「感動したよ」と讃えてあげてほしい。

注1
ギュ・スムのような公開型の暗誦試験はメンツィカンだけの特色で、僧院では行われない。

注2
{1940年、5歳のとき}筆記の後は暗記の練習だ。これは単なるお経の丸暗記で、すぐ覚えてしまうので退屈で仕方がなく、それでいて忘れるのもまた早かった。(中略)その後わたしは長くてむずかしい経典を暗誦してみなくてはならなかった。緊張のあまり諳んじるそばから前の文句など何一つ頭に残らなかった。
ダライ・ラマ自伝』(山際素男訳 文春文庫 2001)80頁

注3
正解はチベット名イクニェン。インド名ヴァスヴァンドゥ。日本では暗誦能力を讃えられている過去の偉人として、全盲ゆえに膨大な文献を暗記せざるをえなかった江戸時代の塙保己一(1746~1821)が挙げられる。

補足
基本的に暗誦と暗唱は同じ意味であるが、日本の仏教界では暗誦(あんじゅ)とも呼ぶことから僕はこちらを用いている。ただし日本の教育界では暗唱が用いられていることから、一部は暗唱の表記を採用した。また暗記と暗誦・暗唱は異なる。たとえば英単語を覚える行為が暗記であるのに対して、英文を覚えて諳んじることが暗誦・暗唱である。

おすすめ書籍 僧侶での暗誦の様子が描かれています。
チベットの僧院生活』(訳 小野田俊蔵 平河出版社1984)。

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