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気高きアルタイ山脈に住む誇り高き民族
カザフ民族とバヤンウルギー

 
鏡のようなトルボ湖。そこでは天と地が混ざり合う
鏡のようなトルボ湖。そこでは天と地が混ざり合う


もう一つの遊牧民族

カザフ民族MAP

北・中央アジアの遊牧民というと、多くの人はモンゴルを思い浮かべる。モンゴル高原があり、モンゴル国があり、日本ではモンゴル人力士たちが多く活躍しているし、さらに、北海道にはジンギスカン料理(*1)があり、歴史を振り返れば、元寇があり、そして、満蒙開拓や満州国建国などもあって、日本ではすっかりモンゴルは有名になっている(と思う、いや思いたい)。

しかし、モンゴル人たちが歴史の表舞台に出てくる前にも、北・中央アジアには遊牧民はいた。後にモンゴル系であるとか、テュルク系(トルコ系)であるとか言われるようになるが、とにかく、そこには遊牧民がいた。特にモンゴルが侵出してきて、そこに組み込まれていった“先住遊牧民”は、滅ぼされたわけではなく、遊牧連合の一部を形成しながら、自分たちの出自を忘れることなく、今に生き続けている。
そんな中でも一大勢力、いや中央アジアを代表する巨大な民族がいる。チンギスハーンが征服したとされるナイマン(*2)、ケレイト(*2)たちの子孫、カザフ民族(*3)である。
おもしろいことに、カザフの名を冠する国を作ったのがチンギスハーンの血脈にある人物であり(ジュチ(*3)をメルキト(*2)の子とするか否かで意見が分かれるかと思われるが)、今のカザフ人たちの多くはチンギスハーンを自分たちにとっても皇帝であると考えており、さらに言えば、彼らの中には、「元朝秘史に名前が出てこないハルハ(モンゴル国におけるモンゴル系最大集団)なんかより、我々の方がずっと古くから存在し、遊牧文化を守ってきたのである」とまでいう誇り高き民族主義者も少なからずいる。
ちなみに、民族名称はカザフが正しい。従ってカザフ文化、カザフ語、カザフ史などというように使うのが正しい。よく耳にするカザフスタンは国名(正式にはカザフスタン共和国)である。従って、カザフスタン人=カザフ人とならない。なぜなら、カザフスタン人とはカザフスタン国の人を指し、かつ、ここにはカザフ民族以外の人々も多く居住するからである。中にはカザフ民族をカザフ族として、中国少数民族の一つであることに重きを置いて記述しているものもあるが、これはカザフ人にしてみれば、実に不本意な話だ。中国があろうがなかろうが、カザフ人はカザフ人である。また、「カザフ人ってモンゴル人の一部だよな?」と、失礼なことをいうモンゴル人もいるが、これも間違いだ。カザフ人はカザフ人なのである。

モンゴル国内のカザフ人たち

気高きアルタイ山脈に抱かれし場所
気高きアルタイ山脈に抱かれし場所

さて、少々、最初からややこしいウンチクから始まってしまったのだが、とにかく、カザフ民族というのは、そもそもからして、古い歴史と文化を持つ民族なのだ。
そんなカザフ人がモンゴル国バヤンウルギー県に住んでいる。実は、モンゴル国内のあちこちに住んでいるのだが、バヤンウルギー県は、「ここは別の国か?」と錯覚するほど、カザフ人が沢山住んでいる。バヤンウルギー県の中心であるウルギー市でなら、モンゴル語も通じる相手がゴロゴロいるが、地方に出たら、通じない相手の方が多いかもしれない。全く通じないと言わずとも、通じにくいのは間違いない。
モンゴル国内での経済的成功を収めたいなら、モンゴル語が必須だと思うのだが、ここのカザフ人たちは、カザフスタンやトルコ、キルギス、ウズベク、ロシアなどへはまるで国内旅行をするかのように出かけていってビジネスチャンスを見つけてくる。さらに、カザフスタンではモンゴルから来るカザフ人たちに対して様々な優遇政策を打ち出している。モンゴル語が判らなくても(全く判らないともちろんそれなり不便だが)、困らずに生きていくことも可能なのだ。
若者の留学先はカザフスタンやトルコが圧倒的に多く、また、行った先で英語やフランス語などを身につけ、ついでに、個人差はあるが、国際感覚までもしっかり学んで来る。
カザフ語はトルコ系の言語であるため、ウイグル、キルギスなどの諸語と、ほぼそのまま通じ合い、また同族言語であるトルコ語も学習しやすく、無理にモンゴル語を覚えずとも良いという状況にあるようだ。
さらに彼らはイスラム教徒であるため、国際的なイスラム関連機関からの様々な援助、支援も受けている。社会主義崩壊直後より、バヤンウルギー各地にモスクが作られたり、巡礼が行われたりと、彼らが国境を西へ越えて出かける大きなきっかけにもなっている。
カザフ人はモンゴル国内では少数民族とされ、モンゴル国中心部から見れば辺境地に住んでいるため、何かと不便なように見える。しかし、実は、国境の向こうには温かく迎えてくれる同胞たちが多く、ある意味、モンゴル国中心部へ行くよりもずっと暮らしやすい環境に彼らはいるのだ。
そんな環境に住む彼らを、他の地域に住むカザフ人たちは、このようにいう。
「カザフの遊牧文化をもっとも強く残している人々である」と。
むろん、カザフスタンや他の地域のカザフ人も伝統カザフ文化は残っているのだが、遊牧文化というと、ソビエト連邦の一部であった時代に多くが失われてしまったと聞く。同じ遊牧民族の国、モンゴルにいたからこそ、彼らは遊牧文化を守ってこられたのだろう。
少数民族という立場故の、様々な不利益はあったことは想像に難くないが(モンゴル側によるカザフ弾圧が行われた歴史もある)、それでも、民族の言語を残し、もちろん変化はあるだろうけれど遊牧生活を営み、遊牧文化を伝え、残した彼らは大いなる誇りを持って暮らしている。
バヤンウルギーに住むカザフ人は、カザフ人たちの中でも、特に苦難の歴史を経験した人々であることも語らずにはいられない。1700 年代半ばに、ロシアによる実効支配を嫌った人々が今のカザフスタンの地域から、現在の新疆ウイグル自治区にあたる地域(当時清朝帝国)へと移住した。そして1840 年代に反清朝帝国運動の中で、アルタイ山脈南麓から北麓側へ移動することとなった。住み慣れた故郷を捨てることになろうとも、何者の支配も受け入れずに常に自由を求めて移動を続けた人々の子孫たちが、バヤンウルギーに存在しているのである。
私は、彼ら、バヤンウルギーに住むカザフ人たちを、他のカザフ人たちと区別して、ウルギー・カザフ人と呼ぶことにしている。
社会主義が崩壊し、カザフスタンへの移住が可能になった時(1991 年)に約10 万人いたウルギー・カザフ人たちは、1993 年には7 万5 千人に数を減らしたが、その後、バヤンウルギーに戻る者が増え、2000 年には約9 万4 千人になっている。カザフスタンにはビジネスチャンスも多く、政府による手厚い生活援助、就職支援もあったというが、そこでの生活様式の違いになじめずに戻ってきたのだという。

バヤンウルギーというところ

バヤンウルギー県
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バヤンウルギー県

彼らが住むバヤンウルギーとは、アルタイ山脈北麓のほぼ中央にある。ここは、4000m級の山々がそびえ、それらの頂は氷河や万年雪に覆われ、そこから流れ出す川は乾いた大地を縦横に走り、美しい湖を作り出す。どこを向いても、ため息が出るくらい美しい場所だ。伝説のシャンバラ王国はここにあったのだという人もいるくらいだ。
ただ、いかんせん、乾燥している。そもそもモンゴルの殆どの地域で、木は山の北側斜面のみにわずかに生えるに過ぎないのだが、アルハンガイ県を西に過ぎたあたりで、山はまるっきり岩山になる。これがバヤンウルギーにはいると、その峻険さを増し、車で走っていると屏風岩が次々と迫ってくるかのような道行きになる。砂利山、岩山ばかりで、木は殆ど見ない。
それどころか、低地部分の草の緑もほんのり色づく程度で、モンゴル中央草原地域のような草丈はない。それも低地のもっとも低い部分、おそらく、最後まで雪解け水が残っていたであろう部分だけが緑になり、それ以外は、茶色い、まるでゴビの礫砂漠のような風景ばかりだ。非常に草が少ないように見えるのだ。
しかし、不思議なことに、中央草原地域と比べて川や湖は多い。万年雪や氷河から流れ出る水は、硬い地面をすぐに流れ落ちて、川を作り、沢山の湖を作り出す。雪解け水は一気に流れ、春先には濁流を作るが、時期が終わると、それらはすべて水無し川になる。それでも、他のところよりは水が残っているのだろう、そういう所に木が生えるようだ。川の周りには木も生えるし、草の緑も濃いのだが、洪水の危険がなくなる9 月過ぎくらいになるまで、そのあたりを営地に使うのは難しい。
真っ白な雪山と真っ青な湖がいたるところにみられ、とても乾燥しているが、水が豊かだというのが、バヤンウルギーの特徴といえるだろう。

遊牧民の子供はとても働き者だ
遊牧民の子供はとても働き者だ

非常に乾燥していて、岩山が近く、いわゆる草原地域のように広い草原がないこの土地で彼らは遊牧生活を営まねばならない。土地の利用の仕方に大いに工夫が必要とされるはずだ。
まだ、限定的な地域での短い観察期間での話だが、彼らの移動を概観しよう。彼らの冬は山の中腹に営地を構える。これは、飲料水とする新雪を集めやすい、かつ、北風をしのぎやすい場所が選ばれる。山羊を山側へ、羊を谷側へと放牧に出すことが多い。春から夏にかけては、高地に居住地を移す。低い場所では洪水の危険があるからだが、川沿いの草が多い場所を出来るだけ使わずにいたいのだ。そして、洪水の危険が減る9月になると、草の多い低地部に移動し、冬の干し草刈りなども行う。山の高低差と水、草利用を考慮した移牧を行っているのである。また、秋用の牧場を確実に確保するために家畜が入らないように柵を作ったりもするし、そこへ灌漑することもある。また、定住地では畑作を行うなど、モンゴル遊牧民と比較すると、自然に対する働きかけはより積極的なようにみえる。
モンゴル国内に於いて、少数民族であり、モンゴル中央草原地域より厳しい環境下に暮らす彼らが、生存を賭けて、この土地に適応した結果の遊牧形態なのだろうと思われる。

誇るべき伝統文化の数々

刺繍などの装飾が施されていないモノを探す方が難しい
刺繍などの装飾が施されていないモノを探す方が難しい

以上のような歴史と自然環境の元で、ウルギー・カザフ人は、似て非なるモンゴル遊牧文化の影響にさらされながら、独自の遊牧文化の伝承に努めてきた。彼らが大切に守ってきたもののいくつかを紹介したい。
まず、彼らの家(ウイ)に入ると、その美しさに驚くだろう。ありとあらゆるものに、色とりどりの模様が施されている。トゥスキィギズ(刺繍の施された壁掛け)、サルマック(フェルトの刺し子絨毯)、トールダックやバスコル(フェルト刺し子の帯。手製の織機で織ったり、戸口上部を飾ったり、家全体を巻いたりする)、オルガンチー(葦に糸を巻いて模様を施した防砂壁)など、この世に同じモノは二つと無く、それぞれの家の女性が精魂込めて家族のために作ったもので彩られている。思うに、遊牧生活における女性の仕事は多いはずだ。小型家畜の世話、搾乳、食事の仕度など朝から晩まで働きづめのはずなのだが、ここに加えて、これだけ手間暇のかかる仕事をするなんて、すごいことだと思う。聞くところによると、頻繁にお茶会なるものが催され、カザフ人同士の行き来は多いらしく、お客に見られても恥ずかしくないようにという心理も働くのかも知れない。
いずれにせよ、色彩感覚、造形感覚共にとても優れた人々だと思わざるを得ない。彼らが身につける衣装の形、色、いずれをとっても、素晴らしく美しい。おしゃれだ。彼らを取り巻く自然環境では、空の青、大地の茶色、雪の白、まばらな緑と、控えめな花の色くらいしか目に入らないのだが、人の存在をアピールするかのごとき色使いだ。家それぞれのそういう手工芸品、いや生活品を見て回るだけでもとても楽しいものだ。

テルメバォ(織り帯)も作るが、織機も手製のものだ
テルメバォ(織り帯)も作るが、織機も手製のものだ
カザフの男たちはイケメンでおしゃれが多い
カザフの男たちはイケメンでおしゃれが多い



さて、カザフ人と言えば、鷹狩りを連想する人も多い。鷹狩りとはタカを使った毛皮猟をいい、鷹匠とはタカ使いを言うのだが、カザフではもっぱらイヌワシが使われる。広げた翼は2mに及ぶものもいて、かなり大きいのだが、騎乗して腕に載せて狩りに出かけるのだ。もっぱら狩りは獲物(キツネやウサギ)の毛皮が美しくなる冬に行われる。ヒナを巣から持ち帰り(メスを選ぶ。足が大きいのがメスだという)調教するのが一般的だが、成鳥を捕らえて調教することも少なくない。バヤンウルギーは全カザフ人居住地域で鷹匠(イヌワシ匠?)が一番多いことでも有名だ。2002 年頃からイヌワシ狩り文化保護伝承、発展を目的に、イヌワシ祭が始められた。年を重ねるごとにイヌワシ所有(*4)、観光旅行客も増えるに至っているが、若者のイヌワシ所有者、狩人も出てくるようになり、バヤンウルギーのイヌワシ文化は立派に発展の様相を示している。ちなみに、イヌワシ祭ではカザフ伝統の騎馬競技ククパル、テンゲイルゥ(*5)、クズコアル(*6)なども催される。馬上からヤギを奪い合うククパルは中央アジアのトルコ系民族にも同様の競技があり、男たちが熱くなる競技だ。

ドンブラを奏でる
ドンブラを奏でる

最後に、カザフ音楽の話をしよう。正直、まだ私も勉強中の身であることをご承知の上で読んで頂きたい。カザフにはかつて、サル・セロゥと呼ばれる流浪の歌唄いたちがいたと聞く。彼らは広く広がって暮らしている各地のカザフ人たちの中を自由にさまよい、各地で目にし、耳にした出来事、またそれぞれの土地に伝わる歌や曲をその物語と共に人々に伝える役割を担っていたようだ。

その旋律や歌詞は様々なバリエーションを生み出しながらも、遠く離れて暮らしているカザフ人の間の歴史や文化、アイデンティティをつなぎ合わせ、カザフ全体としての一体感を維持することに一役買ったと思われる。100 年、200 年前の物語が様々な形で今に語り継がれ、愛され続けていることに、カザフ人たち自身の文化や歴史に対する誇りが感じられる。
はじめてバヤンウルギーを訪ねた時のことだ。立ち寄った家で一休みしていると、そこの若者がドンブラ(*7)を弾きながら歌を歌ってくれた。彼が歌い終わると小さな女の子が同じメロディーで歌を歌った。続いておばさまが、おじさまが…というように、その場にいた人々が歌い連ねていったのだ。訊くと、誰もが知っているメロディーで、歌詞はアドリブで思い思いに作り歌うのだという。伝統の上に、いつでも新しい唄を作り出すことができ、そして、それを常に変化させていけるのだ。

バヤンウルギーとは自然はもちろんのこと、人の生き様までもが美しい場所だ。そして、自然の常なる変化にさらされながら遊牧生活を営み、さらには周辺民族に翻弄されながら適応して生き抜き、カザフ文化と歴史を伝承し守り抜いてきたカザフ人のたくましさと柔軟さ、その気高さから、学ぶべきものはとても多いと私は思う。

(*1)ちなみにこれはモンゴル料理ではない。ついでに言えば、「我らがチンギスハーンを鍋の名にするとは何事か!」と怒るモンゴル人もいる。
(*2)モンゴル帝国以前の時代にモンゴル高原中北部に割拠していた遊牧民の部族集団
(*3)カザフという名前が民族名称として使われるようになるのは1470年、チンギスハーンの長男ジュチの五男シバンの子孫であるジャニベクとケレイがカザフ・ハン国を作ることに端を発する。
(*4)今ではイヌワシに戸籍が設けられ、管理されるようになっている。
(*5)地面に等間隔に置かれたコインを馬乗から拾い上げる競技
(*6)馬にそれぞれ乗った男女1人ずつがペアとなり、女性が男性を鞭でたたき追っていく競技。求婚の場でもある。
(*7)カザフの代表的な民族楽器。二弦撥弦楽器(写真参照)

風通信」47号(2013年4月発行)より転載


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