第157回●チゲル ~真の外国人アムチ~

研修医時代の筆者(右奥)

よく、日本人から「小川さんはどうしてメンツィカンの病院に残って働かなかったのですか」と質問されるのでこの場を借りて釈明したい。

振り返ってみれば、僕のメンツィカンへの入学は決してウェルカムではなかった。なぜなら日本人のオガワには国があり生活には困っていない。それに対し、当時のチベット難民社会にはアムチになりたいというよりも、なんでもいいから学問の場が欲しいという学生で溢れかえっていた。つまり、外国人(チベット語でチゲル)よりも1人でも多くのチベット難民に学問の場を提供することが至上命題だったのである。実際、2001年の入試のとき25の席に500人もの申し込みがあった(注1)。そんななか「まあ、受けてみなさい」という、不合格が前提のもとで僕の受験は受理されたのである(第15話)。そして運よく合格できたけれど、見方によっては外国人が押しかけて、若きチベット学生の枠を1つ奪ったといえる。そもそもチベット医学界は外国人のアムチを必要とするほど落ちぶれてはいない。そんな厳しい背景を自覚していたからこそ、せめて13,14期生の同級生たちには立派なアムチになってもらおうと、外国人学生だからこそできる教育改革運動に力を入れた。ただ、力を入れすぎたために当時の経営本部と大喧嘩になり僕の休学騒動にまで発展してしまったのはほろ苦い思い出だけれども(第62話)。

アムチの診療風景

しかも、現在、チベット難民社会はアムチ過剰の状態で、同級生の半分は臨床の現場ではなく研究職に就いている(注2)。したがってチベット人でさえむずかしい病院勤務の地位に、外国人の僕が図々しく就けるはずがない。そもそも研修医としてならともかく、外国人のチベット医というのは、実のところありえない話である、と告白するとこれまた意外に思われるだろう。たしかに、僕自身、チベット社会に足を踏み入れた当初はそうは思わなかった。しかし、その社会に身を投じたからこそ、チベット社会とアムチとの厳粛な関係について骨身にしみて感じ取ることができるようになってきた。たとえば、日本の寿司職人や落語界から “わざわざ” 外国人が求められないように、と考えてみてほしい。たった、10年、わずか10年しかチベット社会にいない日本人が「真のアムチ」として社会から認められるほどチベット医学は低い山ではないはずだ(第59話)。

卒業後、親友のジグメに「チベット社会で外国人がアムチをやるのは無理だよな」とつぶやいたことがある。すると、彼は「そうだ、そうなんだよ」と小声で何度もうなずいた。その顔は、いつかオガワに告げなくてはならないであろうチベット社会の厳しい現実に自分自身で気が付き、それを素直に吐露できるほどまでに成長したことへの安堵感に溢れていたようだった。やっとオガワは「真の外国人アムチ」になったのである。

ジグメの授業風景

話は変わり2009年、小諸に暮していたころのこと。突然、在日チベット人から電話が入った。「来日している高僧が急病で倒れました。アムチに診てもらいたいんです」。事態は切迫しているようだ。とはいえ、僕の手元には10種類、それもザクロ五味丸(第37話)など穏やかな薬しか持ち合わせていない。そう戸惑いつつ東京行きの準備をしていた翌日、「高僧の病状が悪化したので、西洋医学の病院に入院することになりました」と連絡が入り、申し訳ないが、僕は肩の荷を下ろすことができた。そして、この顛末を後日ジグメに話すと、今度は一転、烈火のごとく僕を叱りつけるではないか。「おまえは本当によくチベット医学を勉強した。でも、決定的なものが欠けている。それはアムチとしての“誇り”だ。たとえ薬がなくても、なぜ、すぐに高僧のもとへ飛んで行って脈を診なかったんだ。俺たちとともに学んだアムチではないのか!」そう、僕は日本では“たった一人のアムチ”であることを忘れてはいけないんだ。

脱臼の処置法を学ぶ医学生

さらに話は変わり、2014年の現在、メンツィカン入学希望者が100名を切り、人気に陰りがみえている。それは難民社会における進路の選択肢が豊かになってきたことと、チベット医学への魅力が若干、低下していることを示している。そこで、正式に外国人枠を2つ設けるなど外国人学生の獲得に積極性が見られるようになっているのは、ちょうどいまの日本の相撲界と似ているかもしれない。今後、チベット社会とアムチとの厳粛な関係が緩和され、病院に外国人アムチが増えていったとしたら、僕にとってそれは嬉しいような、少し残念なような……。

(注1)
書類上では約500人の申し込みがあり書類選考で280人が受験に進み、25人が合格した。

(注2)
見方によっては、アムチ過剰のおかげで、現場のアムチたちが安心して長期休暇を取ることができている。代診を依頼されたアムチは、ここぞとばかりに張り切って診療する。だから、一概に現在の過剰な状況が悪いわけではなく、ほどよい過剰状態というのが適切な表現かもしれない。

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