今週はイランから写真が送られてきました。といいますか、・・・正しくはお借りしました。

王の道と現在の道を示す(イラン ハマダーン付近にて)
なんていうことのない、山の中の道に引かれた2本の線。この1本が、「王の道」の一部ではないかと言われてるのです。
「王の道」とは、
アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世の治世(紀元前6世紀後半~5世紀前半)、彼は王位に着くと、領土を、西はエジプトから東はインダス川までに版図を拡大。その広大な領土を治めるため、国内の制度を整えます。その一つが王のメッセージを国内各所にいち早く伝えるためのネットワーク=街道「王の道」です。
当時の都スーサ(現イラン)から現在トルコのサルディスを結ぶ約2,400㎞の道。途中に111か所の宿場があり、馬や食料が用意されていたと。
長い年月の中で、新しい道に上書きされてしまったり、逆に打ち捨てられて忘れ去られたのでしょう、あまり、ここがかつての「王の道」ですという話は聞いたことがありませんでした。
ところが・・・。
この写真の送り主は、イランのイスラム自由大学の助教授で考古学者のバラマキ氏。イランで王の道の調査を続ける考古学者です。この写真はハマダーン(かつての夏の都エクバタナ)の近くに発見した、「王の道」の痕跡とされる場所。ハマダーンは、本道(スーサからサルディスの街道)上には位置していませんが、夏の都のあった都市には支線があったはずで、その候補地として比定しています。

アケメネス朝時代の王の道の想定地図(Behzad Balmaki助教授の論文より)

考古学者でイスラム自由大学助教授のBehzad Balmaki氏
そして、この夏、バラマキ氏が現地で同行案内していただけることになりました。
ご興味のある方はぜひ、ご覧ください。
バルマキ氏が現地(4-5日目)で案内してくださるツアーがこちら。
定番じゃないイランツアー
イランでも異色のツアーですが、貴重な体験になると思います。