添乗報告●シャウエンから砂漠、そしてマラケシュへ モロッコ周遊10日間(2023年9月)

ツアー名: シャウエンから砂漠、そしてマラケシュへ モロッコ周遊10日間
旅行期間: 2023年9月21日(木)~9月30日(土)
文・写真: 立花誠(東京本社)

トピック

このコースの添乗が決まり、準備にとりかかった矢先の2023年9月9日の朝、突如舞い込んできたのが『モロッコ地震』のニュースでした。
モロッコ屈指の観光地であるマラケシュを主邑とするマラケシュ=サフィ地方での震災により、このツアーが実施できるかどうか決断を迫られることとなり、現地と綿密に連絡を取り合いました。
現地の見解では:
・電気、ガス、水道ともにマラケシュは問題ない
・念のためマラケシュは旧市街のリアドを新市街のホテルへ変更
・ワルザザートのフィントホテルが地震後の修繕で9月末までクローズするので、他のホテルに変更
ということで実施に踏み切ることが決定しました。
ご参加人数は減ってしまいましたが、参加表明をくださった方々、本当にありがとうございました。

周遊10日間は、モロッコの魅力ぎっしりの人気コース!

モロッコといえば、メディナ(旧市街)のそぞろ歩き、美しいイスラム建築、砂漠とラクダ、オアシスとカスバ、クスクスやタジンに代表されるグルメ、モロッコ雑貨ショッピング、と、枚挙にいとまがありませんが、このコースはそれがぎっしり詰まった、モロッコ満喫編です。

1日目: 日本からモロッコへ。

地震の後、特にマラケシュやカスバ街道がどうなっているか、一抹の不安を抱えながら出発しました。一行はドバイ経由でカサブランカへと向かいます。往路、考えていたのは、マラケシュを中心としたエリアがどうなっているか。そして、宿屋やお店はどのように営業しているか。現地スタッフからの情報で、大丈夫と聞いていても、やはり自分の目で確認したい。そんな心境でした。

2日目: カサブランカ

カサブランカに到着し、最初に向かったのはハッブース街。まずはお菓子屋さんに直行してお菓子選び。気に入ったお菓子を購入してから茶店に移動。この先ずっとお世話になるミントティーと初めての出会い。先ほど買ったお菓子をつまみながら、贅沢なティータイム。ハッブース街にはちょっとしたお土産屋さんがあるので、どんなものを買おうか、いくらぐらいなのか、下調べができます。

夕方、ハッサン二世モスクを拝観。これといった見所に乏しかった時代、前国王が町おこしをかねて建立した立派なモスク。見上げるばかりのミナレットに贅を尽くした礼拝堂。ため息が出るほどイスラム建築の美に浸ることができます。

この日の夕食は、モロッコ料理の入門編。モロッコで味噌汁のような存在として親しまれているハリラ(スープ)、日本でもかつて話題になったタジン(鍋)、細かいパスタに具を乗せてソースをかけたクスクス、モロッコの食材が豊富で、料理もカラフルだということに気づきます。

3日目: カサブランカからシャウエンへ

高速道路をひた走り、向かった先はシャウエン。途中、かつてスペインが領有していた時代の国境ポスト跡を通過します。この国の複雑な歴史の一端に触れられる瞬間です。

シャウエンは坂の多い小さな町ですが、絵になる箇所が多く、だれもが腕利きのカメラマンになってしまう場所。白と青とが織りなす風景は、まるでパステル画を見ているみたい。歩き疲れたらジュース屋さんでフレッシュなフルーツジュースを飲み、サボテンの実をつまみ、ちょっと一息。

シャウエンではリアドに泊まりました。昔のお屋敷を改装した旅館(という表現がよさげ)で、ルームごとに内装が違ったりします。メゾネット式になっているルームもあれば、隠し部屋のような次の間のような小部屋があるルームもあって、お互いにルームを見せっこしたりして盛り上がりました。

この日の夕食はシーフードがメイン。地中海からそれほど離れていないため、そして最近の輸送メソッドの進化によって新鮮な魚介が山中で供されます。

4日目: シャウエンからフェズへ

シャウエンからフェズへの移動は、オリーブ農家が連なる地区を通ります。オリーブ畑やオリーブ油圧搾のための石臼、そして牧畜民の放牧が見られたりします。

フェズに到着したら、王宮の門を見学し、そのあと9世紀からの歴史を刻む『フェズ・エル・バリ』と呼ばれる迷路のような旧市街を歩いて昼食のレストランへ。迷子にならないように、全員がカルガモのように一列になって迷路を進みます。

ランチの席に着くと、早速、前菜の数々が運ばれてきました。野菜の料理多く、ヘルシーです。てっぺんに乗っている小さな更に盛られている赤いものは、ハリサと呼ばれる香辛料。結構、辛いので少量ずつかけて味を調えます。メインはフェズの名物という「バスティラ」を注文する人が多かったと思います。パイの生地にチキン(現地ではハトもオーソドックス)を包んで焼いた料理で、パウダーシュガーやシナモンがふりかけられています。スイーツの外見なのにチキンの風味が損なわれておらず、珍しくておいしかったという感想を頂きました。

なめし革職人の地区である『タンネリ』、2万2千人の参拝者を収容でき世界最古の大学のひとつを併設する『カラウィン・モスク』、そして軒を連ねるおびただしい数の商店、カオスという言葉がぴったりはまるフェズの旧市街を堪能しました。

買物もまた、フェズの醍醐味のひとつ。ご参加者はタンネリの革製品はもとより、夕方訪れた陶器の工房でも値段交渉して買い物を楽しんでいました。モロッコ風の革製のスリッパ「バブーシュ」や、革製のクッションカバーは特に人気がありました。

5日目: フェズからサハラ砂漠へ

フェズを出発し、車はひたすら砂漠を目指して走行。途中、ノマド(遊牧民)の可動式テント住居などが見られました。

イフレン、エルラシディア、サハラ砂漠の玄関口であるメルズーガを経由して、夕方6時半ごろにサハラ砂漠のキャンプに到着。もう、ラクダが迎えに来てくれていました。

車からラクダに乗り換えて、夕暮れのサハラ砂漠に繰り出しました。ラクダが立つときにガクンとなり、初めてラクダに乗ったご参加者から、歓声とも悲鳴ともとれる声があがりました。ラクダが歩き始めると、鞍の上から眺めるサハラ砂漠の風景は、絵画のように見えました。そして日没は、サハラ砂漠をオレンジ色の光と黒い影で砂のキャンバスを彩り、ご参加者を絵画の世界に引き込みました。声は歓声に統一され、沈みゆく太陽を見送りました。砂漠の風紋に残照をちりばめ、日が西のかなたに沈みました。モロッコ、アルジェリア、チュニジアを、マグリブ(マグレブ)三国と言いますが、マグリブとは「日が沈む場所」、地の果てに来ているんだという実感が湧きました。

夕食はモロッコのソウルフードであるタジンや、肉の串焼きのケバブ。夕食後はキャンプの中庭でベルベル人(モロッコの先住民)のスタッフが、伝統芸能を披露してくれました。

翌日の日の出をラクダで満喫したいというご参加者に、朝のラクダを手配して、今日の宿=常設テントへ。砂漠の一夜は更けてゆきました。

6日目: サハラ砂漠からワルザザートへ

早朝、日の出前にご参加者のうちラクダ組が出発。残りのご参加者は夜のうちに風紋が刻まれた砂丘に登り、ご来光を待ちました。刻一刻、表情を変えるサハラ砂漠を堪能した後は、コンチネンタル式朝食とミントティー。

この日はサハラ砂漠からオアシスの点在する、『カスバ街道』と呼ばれる街道を西に向かいました。カスバとは城壁で囲まれた村落で、カスバ街道には数多くのカスバが点在しています。そして到達したのが『トドラ峡谷』。最も高い場所では高さが160mとも言われる切り立った崖が、冷たい水が流れる川の両側に聳えています。「空が狭いね」という声が聞こえてきました。砂漠から来ると、水のある風景は別世界のように感じます。

ワルザザートに到着したのは午後。この地方に執政官として君臨したタウリルトが官邸として使った巨大なカスバが夕景に浮かび上がる様は圧巻でした。

7日目: ワルザザートからマラケシュへ

ワルザザートを出発し、西へと進みます。この日は世界文化遺産に登録された巨大なカスバ『アイト・ベン・ハッドゥ』を見物し、アトラス山脈を越えてマラケシュに向かいました。

アイト・ベン・ハッドゥに着いたとき、かつてはアイト・ベン・ハッドゥのリアドに泊まり、数日滞在した経験のある私は、ハッと息をのみました。「アイト・ベン・ハッドゥの望楼がない・・・」。アイト・ベン・ハッドゥのてっぺんには周囲を見渡せる望楼があったのですが、先般の地震で崩落してしまったのです。モロッコ地震を意識したのはこの時がほぼ、初めてでした。アイト・ベン・ハッドゥでは、迷路のような集落を散策し、てっぺんまで歩いて崩落した望楼の前まで行き、あぶり出しアートの工房を見学し、茶店でミントティーと地産地消のクッキーを楽しみました。移動中は外観しか見たことのなかったカスバの仕組みを実際に歩いて見学し、ご参加者にも楽しんで頂けたようです。

アイト・ベン・ハッドゥを出発し、アトラスに向かう途中で、先住民族のベルベルの絨毯工房に立ち寄り、見学しました。ウールに幾何学模様をあしらった絨毯は、荷物になるけれど、買って帰りたいほど。

そしてアトラス山脈に分け入りました。九十九折りの山道を走りました。途中のレストランにて昼食。ご参加者はカバブなどを注文。昼食後はアルガン・オイルの工房兼展示即売所へ。アルガン・オイルがいかにして作られるかのデモンストレーションの後は、製品化されたアルガン・オイルのショッピングを楽しめます。食用オイルや化粧品、石鹸と、魅惑の商品が財布のひもを緩めます。

マラケシュに着いたのは夕方。部屋に旅装を解くと、再度車に乗って、マラケシュのシンボルともいえる『フナ広場(ジャマ・エル・フナ)』へ。常設屋台と言ってもよい露天を冷やかしました。食事は野外レストランでシーフード料理。白身魚やエビ、イカなどの料理を堪能しました。食後はジャマ・エル・フナを眼下に見下ろせるカフェに行き、夜景と喧騒を楽しみました。

8日目: マラケシュ滞在

この日は初めての連泊。とことん、マラケシュを楽しむ日です。地震が起きた時には、街歩きは難しいのでは?と思いましたが、ジャマ・エル・フナを中心としたエリアは被害は最小限で、両替をしたり買物をしたりと、旧市街を十分楽しむことができました。最初に訪れたのは『ベン・ユーセフ・マドラサ』。イスラムの修業をする人々の住まう、いわば僧房や、噴水のある美しい中庭を見学。その後は砂蒸しのコーヒーを提供する茶店や、革製のスリッパのバブーシュ等の店、そして銭湯に相当する『ハマム』の近くで展開する薪の熱で調理する『タンジーヤ』の店など、モロッコらしい生活文化を堪能しました。

昼食は『タンジーヤ』。言ってみればつぼ焼き料理。肉や調味料を壺に入れて、ハマムのお湯を沸かす薪の近くで料理する、マラケシュの名物です。壺が運ばれて大皿に移されると歓声が上がりました。肉は柔らかく、そしてジューシー。たいへんな量ながら、お代わりしたくなる一品でした。もう一つの名物であり、同時に供された羊の焼肉『メシュウィ』がちょっとかわいそうになるくらい。

食後はしばらく自由行動。ご参加者はお菓子を買ったり、モロッコ雑貨を買ったり、もっと買物の時間が欲しいと声が上がりました。

午後はオプショナルツアーとして、『マジョレル庭園』をセッティング。ご参加者全員がこのオプショナルツアーに参加されました。イヴサンローランがこよなく愛したことで知られる庭園には、イヴサンローランの廟があり、豊かな水と緑が荒涼としたモロッコの大地をしばし忘れさせてくれました。

いよいよ最終日の夜。ベリーダンスのショーと洗練されたモロッコ料理のディナーを楽しみました。ベリーダンスは参加型のショーも構成に入っており、ご参加者も踊り手に教わりながら、一所懸命、腰の動きにトライ。夜が更けるのも忘れるほどでした。

9日目: マラケシュから日本へ

名残惜しいけれど、今日は日本へ戻る日。マラケシュから高速道路を走り、カサブランカ空港へと向かいます。地震で心配されていたこのツアーですが、蓋を開けてみればマラケシュのリアドに泊まれなかったこと以外、日程はほとんどこなすことができました。モロッコのスタッフが「旅行に来てくれることが復興につながる」と述べていた通り、我々が何ができるかを考えさせられた旅でした。

また機会があれば、モロッコ添乗に同行させて頂きたいなと、旅の日々を思い返す今日この頃です。


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