

第321話 テーワ ~有暇~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」
談笑するメンツィカン学生 2006年 チベット人と談笑する筆者 2019年12月 どんな言語であれ、文化の相違によって通訳が難しい単語はあるが「趣味は何ですか、」という日本語をチベット人に通訳するのは簡単そうで難しかった […]
談笑するメンツィカン学生 2006年 チベット人と談笑する筆者 2019年12月 どんな言語であれ、文化の相違によって通訳が難しい単語はあるが「趣味は何ですか、」という日本語をチベット人に通訳するのは簡単そうで難しかった […]
「ツェリン・バルダンよ、よくお聞きなさい」 25年前も前に一度視聴しただけなのに、あの独特のゆっくりとしたナレーションはいまも耳に残っている。1998年、北インド・ダラムサラへ向かう直前にDVD『NHKスペシャル チベッ […]
中国・四川省アチェンガル・ゴンパのアソン・リンポチェ(本文と直接の関係はありません) 一年間に及ぶ研修がもう終わろうかという2009年3月下旬、病院長が「私がずっと診てきた高僧が遷化しトゥクダムに入られたようだ」と教えて […]
研修医時代 2008年の研修医時代のこと。病院での診察に慣れ、ようやくアムチ(医師)らしくなってきた五月のある日、ひとりの僧侶が若い僧侶に付き添われて診察室に入ってきた。目がうつろで足取りがおぼつかない。年齢は40代後半 […]
メンツィカン(北インドのダラムサラにあるチベット医学暦学院)では毎夕7時から30分間読経がおこなわれる。そのなかに「シャンバラ国への誕生祈願経(注1)」という短い経文が含まれていた。 メンツィカンでの読経風景 2003年 […]
ブータンの弓試合(東ブータン) 100~130m離れた的を狙う弓技(ダツェ)を国技とするブータンが、オリンピックのアーチェリー競技(70m)で活躍できないのは「的が近すぎるから」というのは有名な言い訳である。そんなブータ […]
アルメニア人のインガにはじめて出会ったのは僕がメンツィカンを卒業してから3年後の2012年10月、チベット医学国際会議に参加するためにメンツィカンを訪れたときのことだった。職員が当時メンツィカン1年生だった彼女に「この […]
薬学部時代の筆者 修正 大学4年生の僕は有機化学合成、いわゆるケミカルの研究室に属し、合成薬の副作用を防止する研究を行っていた。このまま大学院に進学し2年後に一流製薬企業への就職が、ほとんどの東北大学薬学部生にとっての既 […]
もうひとつの日本地図 佐渡の自然学園を辞めた後、居場所を失った24歳の僕はしばらく都内に住む岩(がん)さんの6畳一間のアパートに居候していた。所持金が少なく、かなりすさんでいた。そんな僕にいよいよ愛想を尽かしたのだろう、 […]
ロシアといえばマトリョーシカ ロシアはチベット語でウルソという (注1)。ただし12世紀ころに完成したチベット医学教典『四部医典』にはロシアに相当する地域は登場しない。登場するのはインドにあたるギャ(広大な)カル(白)、 […]
四部医典の絵解き図より 1980年僕が10歳のとき、はじめて東京を旅行し上野公園、東京タワーなどを観光した。しかし、それらお決まりの観光地を差しおいて、もっとも印象に残ったのは上野駅前に座っている傷痍軍人の方々だった。僕 […]
小さい頃、遠足といえばバスの酔い止めにみんな仁丹を持ってきていた。せっかく買ったのだからと、気分も悪くないのに小さな銀色の丸薬を口にすると清涼感のある香りが広がったのを覚えている。仁丹は甘草、阿仙薬、薄荷、丁子など穏やか […]